TENDRE POISON 

~優しい毒~

『はじまりの予感』

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

あ、雨……

 

 

雨は突然降りだした。

しとしとと、音もなく。

 

 

あたしは教室の窓の外をぼんやりと眺めた。

 

 

雨は嫌い。

あの日を思い出すから―――

 

 

―――……一年前―――

 

 

「乃亜姉入るよ~」

あたしたち家族は隣の楠(Kusunoki)家と親しくしていた。

 

 

乃亜姉とは一こ歳が離れたお姉さん。

 

 

生まれてからあたしたちはずっと一緒だった。

実のお姉さんみたいに思ってたんだ。

 

 

「乃亜姉いないの~?」

 

 

いつもならあたしが来たら、走って出迎えてくれるはずなのに……

この頃あたしたちは学校が変わって、異なる環境を夜通し話しては笑いあっていた。

 

 

乃亜姉は最近、恋をしたようで、その『好きな人』とのことをあたしに話し聞かせた。

 

 

あたしの方は・・・・・そうだな、あんまり学校が好きじゃなかったし、そもそもお喋りが好きな方じゃない。

だからあたしはいつも乃亜姉の恋バナの聞き役に徹していた。

 

 

女子間のお喋りって得意じゃないけど、と言うかむしろ嫌いだったし、この頃クラスの女子が固まって誰々が好きとかキスした、とかで盛り上がってたけど、あたしはその輪に入りたいと思わなかったし、入らない。

 

 

『くだらない』

 

 

と、思っていた。何で女って好きな男のことだけであんなに盛り上がられるんだろう。

バッカじゃない?

 

 

恋する余裕があるんなら数式の一つでも覚えた方がよっぽど楽だったし、楽しい。

だからその意味なんて分からなかったし、理解しようとも思わなかった。

 

 

そんなあたしがクラスで『浮いた』存在だったのは確かで、でもそれを恥じたこともなければ嫌な気持ちになったこともない。

 

 

あたしは、最近その理解できない『恋バナ』と言うヤツを聞かされてる。

でも、不思議だね・・・・・・

 

 

乃亜との話は全然苦じゃないし、むしろもっと聞きたいと思ってたんだ。

 

 

 

だって『恋』をした乃亜姉はとても

 

 

 

 

きれいだったから。

 

 

 

 

「乃亜姉?いないの?」

 

 

あたしは無断でリビングまで歩いていった。

 

 

リビングを開けると……

 

 

 

 

P.1


 

 

 

乃亜姉が、ソファに倒れこんでいた。

 

 

白いソファも、乃亜姉の高校の制服も真っ赤に染まっていた。

 

 

 

「乃亜!!」

 

 

 

あたしは駆け寄った。

 

 

乃亜姉の体はまだ温かかった。

 

 

 

「乃亜!しっかりして」

 

 

抱き起こすと乃亜姉はあたしの腕の中で小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「か……みし……ろ、せ…んせ……」

 

 

 

かみしろせんせい!?

 

 

誰よ!それ!

 

 

 

 

発見が早かったので乃亜姉は一命を取り留めたものの、ショック状態で一年も眠ったままだ。

 

 

 

 

 

 

 

自殺未遂だった。

 

 

 

 

 

 

P.2


 

 

 

 

 

「神代ってうちの高校の数学の教師だ」

 

 

そう言ったのは乃亜姉のいっこ年上の明良(Akira)兄。

 

 

 

「じゃあ、その先生と何かあったって言うの?」

 

 

「さぁな。でも乃亜はそいつのこと好きみたいだった」

 

 

 

明良兄は悔しそうに言って、腕組をしていた。

 

 

そう言えばこの頃、乃亜姉から聞かされてた「恋」の話。相手が誰だとはあたしは聞いていない。

 

 

 

 

「付き合ってたの?」

 

 

「わかんねぇ。でも親しそうにしてたのは事実だ」

 

 

 

 

 

 

あたしは唇を噛んだ。

 

 

「じゃあそいつが、乃亜姉を自殺に追い込んだんだ。

 

 

 

 

 

 

 

許さない」

 

 

 

 

あんなに楽しそうにあたしにあれこれ話し聞かせてくれた。

 

 

恋する乃亜姉はあんなにきれいだった。

 

 

いつかあたしも乃亜姉のように、『真実の愛』ってものを見つけて、乃亜姉のようになるんだ、

と言う目標でもあった。

 

 

 

 

乃亜姉から未来を奪った男。

 

 

笑顔を奪った男。

 

 

 

 

絶対に……

 

 

 

 

許さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.3


 

 

―――

 

――――――

 

 

 

 

「(a+b)x2−(a+b)x=(a+b)(x2−x)=(a+b)x(x−1) であるからして……」

 

 

さっきから得意げに因数分解の公式を説明してるのは、憎き乃亜の仇、

 

 

 

 

神代 水月(Mituki Kamishiro)

 

 

“みつき”って名前が変わってる。女みたい。

 

 

 

だけど―――きれいな名前―――……

 

 

 

 

24歳。独身。

 

 

175cm(推定)A型。

 

 

 

 

仇でなければ、ちょっと好きになりそうな整った顔だち。ちょっと女っぽいけど。

神代は甘いマスクに、優しい喋り方と男女隔てなく気さくな接し方をする。故に女生徒から絶大にモテる。

 

 

まぁ?分からないわけじゃないよ?

 

 

この頃の女子って意味もなく年上の「大人の男」に憧れを持つもんじゃない?

 

 

でも、乃亜姉は単なる『憧れ』なんかじゃなかった。その気持ちを超越する程の感情を持っていた。

 

 

だからか・・・・・・神代にとっては鬱陶しいだけの存在だから?

 

 

それに黙って居たって、女に不自由しなさそうなルックスだし。

 

 

 

 

 

それで、乃亜をいいように扱ってたなんて……

 

 

 

許せない!

 

 

 

 

 

「……う、鬼頭!」

 

 

名前を呼ばれてあたしは顔を前に戻した。

 

 

 

 

 

「聞いてるの?鬼頭」

 

 

甘いマスクに苦笑いを浮かべて神代が顔を傾けた。

 

 

 

 

 

「聞いてますよ。

 

 

b−a=−(a−b) だから,次の式は共通因数でくくれます。

 

 

(a−b)x+(b−a)y=(a−b)x−(a−b)y=(a−b)(x−y) 」

 

 

 

 

 

P.4

 


 

 

すらすらと公式を述べるあたしに、神代はちょっと面食らったように唇を結んだ。

 

 

薄い唇……

 

 

 

 

でも軽薄そうに見えないのが不思議。

 

 

 

 

「授業はちゃんと前を向いて聞くこと」

 

 

神代はちょっと微笑むと、くるりと背を向けた。

 

 

 

 

 

男の人にしては華奢な背中。

 

 

 

淡い色の髪の毛。

 

 

同じ色をした瞳。

 

 

 

 

 

その全部を手に入れてやる。

 

 

 

 

そしてあいつが乃亜にしたように、

 

 

 

 

全部、あたしが壊してあげる。

 

 

 

あたしも手ひどく裏切ってやるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしの中で復讐という名の闘志が湧き上がった。

 

 

 

 

 

 

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