TENDRE POISON 

~優しい毒~

『陰謀、企み、そして恋心』

◆午前0時のTarget


 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「じゃあ、明後日(犬)見せてね」

 

 

あたしは口の端でにやりと笑った。

 

 

目の前で明良兄がそわそわしたように行ったりきたりしている。

 

 

 

 

『ところで、何かあった……?』

 

 

神代が勘ぐるように聞いてくる。

 

 

あたしは用意していた答えを返す。

 

 

「これ、あたしの番号だから。登録しておいて。用はそれだけ」

 

 

『そっか……登録しておくよ』

 

 

神代は特に疑った様子を見せず素直に頷く。

 

 

 

無駄に長話は変に勘ぐられる。

 

 

「じゃ」

 

 

あたしは電話を切ろうとした。

 

 

 

 

『―――待って!』

 

 

 

殆ど切ろうと思っていたとき、神代の......まるで縋るような声が聞こえて、あたしは思わずケータイを耳にあてた。

 

 

 

 

 

 

「なに?」

 

 

『いや、明日だけど、放課後都合良い?

 

 

 

今朝言ってたレポート手伝ってもらいたいんだけど』

 

 

 

 

 

遠慮がちに言う言葉にあたしはまたにやりと笑みを漏らした。

 

 

 

P.93


 

 

 

 

「いいよ。それじゃね」

 

 

短く言ってあたしは今度こそ電話を切った。

 

 

明良兄にケータイを放ってよこす。

 

 

明良兄は空中でキャッチすると、

 

 

 

「すげぇな」と一言呟いた。

 

 

「こんなもんよ」あたしは勝ち誇ったように口の端を曲げる。

 

 

 

 

「でも、犬見せてもらうためって言っても神代の家に行くんだろ?

 

 

二人きりじゃねぇか」

 

 

明良兄がちょっと顔を歪めた。

 

 

あたしは頬杖をついた。

 

 

「あいつに何かする度胸なんてないよ」

 

 

さらりと言ったけど、あたしは目を細める。

 

 

 

 

 

そう……あいつに何かする度胸なんてない。

 

 

確たる証拠は何もない。だけどあたしの勘がそう告げている。

 

 

―――筈なのに、何で乃亜に手を出した?

 

 

何でも無いような聖人ぶってて、豹変するのか?

 

 

 

あいつ……あの保健医のように。

 

 

 

 

思い出して、あたしは思わず親指の爪を噛んだ。

 

 

 

 

 

「あいつ……

 

 

あの保健医をとりあえず何とかしなきゃ……」

 

 

 

 

 

 

 

P.94


 

 

 

 

「保健医がどうした?」

 

 

明良兄の鋭い視線が刺さる。

 

 

「どうしたって、ちょっと忠告されただけ」

 

 

言おうかどうか迷ったけど、結局あたしは保健医とのいきさつを明良兄に話した。明良兄も同じ高校だから当然保健医の存在を知っている筈だ。情報を得る為に聞いた。

 

 

 

 

「な!何なんだそいつ!!」

 

 

明良兄は顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。

 

 

「ぶっ殺してやる!!」

 

 

手のひらに拳を打ち付ける。今、目の前に保健医が居たら今にも殴りかかりそうな勢いだ。

 

 

 

 

 

 

「やめてよね。今あいつがボコられたら、あたしに疑いがかけられるじゃん。

 

 

そしたら計画もオジャンだよ」

 

 

それにあいつが大人しくやられるタマじゃない。

 

 

あいつ―――色んな意味で強そうだし。頭も良い。

 

 

あたしは明良兄を睨んだ。

 

 

そう、あいつに何かあったら、あいつはそれこそここぞとばかり神代に忠告するだろう。それがジョーカーであり、切り札だ。

 

 

あいつに『名目』を与えるのは得策じゃない。

 

 

けど

 

 

 

 

“鬼頭 雅に近づくな”

 

 

 

 

 

もしかしたら、もう言ってるのかもしれない。

 

 

 

 

「でも、このままでいいのかよ」

 

 

明良兄は眉を寄せて、ソファに座ったあたしの隣に座ってきた。

 

 

 

 

「いいわけないじゃん。あいつがいると計画が進まない」

 

 

それにやられてばかりは癪に障る。本心では一矢報いたい気持ちでいっぱいだ。あの高い鼻っ柱をへし折ってやりたい。

 

 

でも

 

 

 

どうするべきか……

 

 

 

 

P.95


 

 

 

 

「ターゲットを変える……」

 

 

ぼそりとあたしは口についた。

 

 

「ターゲットを変えるって誰に?」

 

 

明良兄がきょとんとして言う。

 

 

「それはまだ……考えるけど、神代に近づき過ぎてたのかもしれない。

 

 

とりあえずあたしが神代から離れれば、あいつ……保健医も何も言ってこないよね」

 

 

カードはまだ手の内。だけどどれをどう使うべきか、悩みどころだ。

 

 

「そりゃそうだけど、ターゲットを変えたら本来の目的も変わってきちまうじゃん」

 

 

 

 

 

 

「ばかね。あいつの一番大切なものを苦しめてやるのよ。

 

 

自分が傷つくより、ずっと効果的じゃない?」

 

 

 

 

 

あたしは口の端で笑った。

 

 

明良兄が目を見開いて、ゆっくり瞬きする。

 

 

そして、ちょっと身を引くと顔を青くして、

 

 

「お前っって怖ぇな」

 

 

と呟いた。

 

 

「それはどうも。ほめ言葉だと受け取っておくよ。それはそうと、ちゃんと現場を押さえておいてよ」

 

 

あたしの言葉に明良兄は、パーカーのポケットからデジカメを取り出してにんまり笑った。

 

 

「おうよ」

 

 

神代の部屋に入るところを、明良兄にしっかり撮ってもらうんだ。

 

 

その写真をどうするのかはまだ決めてないけど、後々何かの役に立つかもしれないからね。

 

 

カードが無ければ作るだけだ。文字通り。

 

 

 

 

 

 

 

あたしだって、人を傷つけたくてやってるわけじゃない。

 

 

でも

 

 

これは復讐だ。

 

 

乃亜の―――恨みはあたしの恨みでもあるから。

 

 

 

 

 

あたしの計画はまだ始まったばかり。

 

 

 

 

 

P.96


 

 

 

「あいつの家族構成ってどうなってるのかな?」

 

 

あたしは独り言を呟いた。

 

 

「一人暮らしって言ってたジャン。家族はどっか遠くじゃねぇの」

 

 

「彼女もいないって言ってた。確かめてみたけど、それは事実みたい」

 

 

「つまんねぇ大人だな」

 

 

明良兄が頭を掻いた。そしてその手を止めると、

 

 

 

 

 

「好きな奴とかは?」

 

 

 

と聞いてきた。

 

 

 

あたしは肩をすくめた。

 

 

「そんなところまで知らない……」

 

 

でも……

 

 

 

「調べる価値はありそうだね」

 

 

 

あたしは笑いながら、再び親指の爪を噛んだ。

 

 

 

 

 

あいつの好きな女。

 

 

そいつをだしにすれば。

 

 

 

 

 

自分のせいで、大切な者が傷つく。

 

 

 

 

それって最高の復讐じゃない?

 

 

 

 

 

 

 

P.97


 

 

 

 

―――――

 

―――

 

 

次の日の帰りのホームルームが終わると同時にあたしは教室を飛び出した。

 

 

早めに準備室に行って色々さぐりを入れるためだ。鍵が掛かっていないことは知っていた。いつも掛けない。それも調べてある。

 

 

無用心かと思うけど、まぁ??金目のものもないし、盗んだ所で大した収穫にはならないだろう。テストの問題用紙とかはあいつが職員室の鍵付きの引き出しでしっかり管理してるし。

 

 

案の定、準備室には誰もいなかった。

 

 

 

 

6畳ほどの小さな部屋。

 

 

ステンレス製のラックにはたくさんの本が詰まっていて、部屋の中央には机と二対の椅子があるだけ。

 

 

きれいに片付いていた。

 

 

 

 

 

机の上に黒いノートパソコンが開けてある。

 

 

金目のもの......あるじゃん?

 

 

盗まれたらどうするんだよ。と、ちょっと呆れたけど、こいつ個人のPCだし、テスト問題なんかの類はきっと保存してないだろう。

 

 

まぁあたしの方も試験問題が目的じゃないし。そんなことどうでもいいけど。

 

 

あたしはノートパソコンを覗き込んだ。

 

 

デスクトップは紅葉の街角を写した風景だった。

 

 

あたしはフンと鼻を鳴らした。

 

 

「色気がないの」

 

 

 

 

 

メールをざっとチェックしたけど、やっぱりパソコンのメールだと目ぼしいものはない。

 

 

殆どはネットでの通販宣伝メールだった。

 

 

 

インターネットのお気に入りの欄を見たけど、ここも空っぽ。

 

 

 

 

「そんな簡単に見つかるわけないか」

 

 

ため息を吐いて、あたしは“マイピクチャ”の欄をクリックした。

 

 

ここにもどうせ何も入ってないだろう、と思ったけど念のため。

 

 

 

 

クリックすると写真がたった三枚収められていた。

 

 

 

 

 

 

P.98


 

 

 

 

写真は三枚とも神代と男がもう一人写ってるものだ。

 

 

神代は今と髪型も違うし、私服を着ている。

 

 

「あれ?」

 

 

写真をクリックして拡大すると、隣に写っていたのは、あのエロ保健医だった。髪型とか何気に変わってるし最初気づかなかったけど。

 

 

背景は白っぽい建物、影の位置関係から恐らく夕暮れ時に撮られたものだと言う事しか分からない。

 

 

壁の感じからどこにでもあるような建物だったし、この写真だけでここがどこだか特定するのは難しいだろう。

 

 

 

 

あたしは顔をしかめた。

 

 

「どこまで仲良しなんだよ」

 

 

そう呟いたと同時に、準備室の扉をがたがたと鳴らす音が聞こえた。

 

 

 

あたしは慌ててPCの写真を閉じると、扉に走り寄った。

 

 

中から鍵をかけておいて良かった。

 

 

鍵を開けて、扉を開くと、

 

 

 

 

「ごめん。あたし間違って鍵しめちゃったみたい」

 

 

と慌てて謝る(フリ)で言って神代を部屋に招きいれる。

 

 

神代はぎこちなく笑うと、

 

 

「気をつけてね」と言いながら、部屋に入ってきた。あたしの行動を疑った様子は特に見せなかった。

 

 

 

 

 

「今日は早いね」

 

 

教材を机に置きながら、神代が言って、パソコン前に立った。

 

 

「うん。この前ブッチしちゃったから、今日はちょっと早めに」

 

 

「あれ……?」

 

 

 

 

 

神代がパソコンを覗き込んで首をかしげた。

 

 

 

 

 

 

P.99


 

 

 

「なに?」

 

 

あたしはできるだけ平静を装って聞いた。

 

 

メールは閉じた。パソコンは元あった位置から少しもずらしていない。

 

 

変に慌てたらダメだ。

 

 

「いや、何でもない。見間違いだ」

 

 

少しフォルダの位置が変わった気がするけど。

 

 

ブツブツ言いながらも、神代は一人納得して椅子に腰掛ける。

 

 

フォルダ......?しまった、慌ててたからカーソル移動の際に触れてしまったのだろう。

 

 

「気のせいか」神代は頭の後ろを掻く。

 

 

 

 

何なのよ、もう。

 

 

でも変に勘ぐることはできない。あたしは普通の顔して神代の向かいに腰を下ろした。

 

 

だけど、神代の意識をパソコンの違和感から逸らせなきゃ……

 

 

 

 

「で、今日は何をやればいいの?」

 

 

「うん。この問題集の問題をね。良さそうなものをピックアップして欲しい」

 

 

神代はそう言って問題集をあたしに寄越してきた。

 

 

あたしはその問題集をぱらぱらめくる。てか、これ二年生の問題だよね。あたしに見せてどーするって言うんだよ。

 

 

まぁ見ても大抵のことなら分かる......つもりだけど。

 

 

 

 

「ふぅん。複素数。pを素数、a,bを互いに素な整数とするとき(a+bi)Pは実数でないことを示せ?」

 

 

あたしは問題を読み上げた。

 

 

何だ、前に明良兄の教科書で見た問題だ。それほど難しい問題じゃない。

 

 

そしてピンと来た。これなら神代の意識をそらせるかも。

 

 

「P=2のとき(a+bi)2=a2-b2+2abi。a,bは互いに素の正な整数だからab≠0。

よって実数ではない」

 

 

 

あたしは得意げに笑って参考書を開けて机の上におくと、神代は目を見開いてこちらを向いていた。

 

 

 

 

 

「君はすごいな。それ、二年の問題だよ」

 

 

 

 

案の定、神代の目はもうパソコンを見ていなかった。

 

 

 

P.100


 

 

 

「完璧だ」

 

 

神代は目をぱちぱちさせてる。

 

 

「数学は得意なの」あたしは髪を掻き揚げた。

 

 

「そっか……。それなら益々何で君が白紙で答案用紙を提出したのか不思議だよ。君なら満点とってもおかしくない問題だったのに」

 

 

 

 

あたしは参考書を机の上でトントンと鳴らした。

 

 

 

 

「それは先生の気を引きたいからだよ?」

 

 

 

 

あたしの言葉に神代は目をぱちぱち。

 

 

そしてすぐにはにかむような、でもすぐに、どうしたら良いのか困ったような笑顔を見せた。

 

 

 

やがて出した答えは……

 

 

 

「大人をからかうんじゃない」

 

 

だった。

 

 

 

 

思ったよりつまんない男。

 

 

もっとうまく立ち回るかと思ったのに。

 

 

こんな数学の問題をサラリと解くぐらいだから、あたしからの難問もどんな複雑な回答が来るのかちょっと期待してた、ってのもあった。

 

 

ひどく不器用で、真面目な性格が見え隠れしてる。

 

 

演技なの?それともそれが地なの?

 

 

 

 

 

 

 

どうしてあたしのことは乃亜のように扱わないの?

 

 

乃亜より子供だから?タイプじゃないから?

 

 

それとも警戒してる?

 

 

 

 

あたしはたくさんの謎を抱えることになった。

 

 

 

 

 

P.101


 

 

 

まあ、今はどうでもいいや……。

 

 

「ところでさ、先生って好きなひといる?」

 

 

あたしの唐突の質問に、向かいの席で参考書を開いて俯いていた神代が顔をあげた。

 

 

 

 

 

「好きなひと……?」

 

 

大きな目をぱっちり見開いて、そのガラス玉のような目にあたしを映し出す。

 

 

何か言いたそうな顔つきだった。

 

 

「急に何で?」

 

 

「だってクリスマスももうあと一ヶ月だよ。早く彼女作らなきゃ、とか思わないわけ?」

 

 

あたしはゆっくりと頬杖をついて目を細めた。

 

 

神代はまたちょっと困ったように笑って、口を開くと何か呟いた。

 

 

その声は聞こえなかった。

 

 

実際、神代の声にはならなかった。

 

 

口をぱくぱくと動かせた後、

 

 

 

 

 

「―――……好きな人なんていないよ……」

 

 

 

 

静かにそう答えたのだ。

 

 

そして僅かに目を伏せる。

 

 

 

 

―――嘘……だな。

 

 

 

 

神代はあたしに嘘をついている。

 

 

それもこれほど分かりやすい態度で。

 

 

 

 

あたしは頬杖をついた指で口元を隠すと、ちょっと笑った。

 

 

 

 

 

 

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