TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午前0時の涙


 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

あたしが神代の元に戻って一週間。

 

 

神代は変わりない。どうやら保健医は沈黙を守ってくれてるようだ。

 

 

保健医があたしに何か言ってくることもない。(ていうか、避けられてるみたいだけど)

 

 

あの写メには絶大な効果があったようだ。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、慌しく試験は終わったし、あっという間にテスト用紙が返されてくる。

 

 

気づいたらもう終業式は目前だった。

 

 

「鬼頭!」

 

 

英語の授業が終わって、梶がテスト用紙を握りながらあたしの元へ来た。

 

 

「鬼頭のおかげで、ほれ!」

 

 

そう言ってあたしの前に英語の解答用紙を開いた。

 

 

64点となっている。

 

 

「俺いつも赤点すれすれだったから。こんな点取ったのはじめて♪お前は?」

 

 

梶はわくわくした様子であたしを覗き込んできた。

 

 

良かった。こんなあたしでも誰かの助けになってるんだと思うと、ちょっと心が軽くなる。

 

 

「あたしは99点。一問スペルをaとeを間違えた」

 

 

梶は目を丸めた。

 

 

「……相変わらずすっげーな。どうして同じ人間なのにそんな差があるんだよ」

 

 

感心したような、ちょっと悔しそうな複雑な表情を浮かべてる。

 

 

「なぁなぁところでさぁ鬼頭。来週のクリスマスイブって予定あいてる?」

 

 

クリスマスイブは……

 

 

予定は特にないけど。

 

 

 

 

 

 

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でもクリスマスを一緒に過ごすってことは、少なからず好意があるってことだよね?

 

 

だってクリスマスは特別な人と過ごす日だから。

 

 

あたしはまだ、梶に気持ちを伝えてない。

 

 

クリスマスを一緒に過ごしたら、梶に気を持たせることになる。

 

 

「ごめん、クリスマスは一緒にいられない」

 

 

あたしは答案用紙を握り締めて、梶の顔を見上げた。

 

 

梶は一瞬暗い顔を見せたけど、すぐに取り繕ったように笑顔を浮かべた。

 

 

「そっか。ごめんな~、じゃぁさ別の日に……」

 

 

 

 

「別の日もない」

 

 

 

あたしは無表情に答えた。

 

 

できるだけ冷淡に見えるように。

 

 

梶、あたしは酷い女なんだよ。だから早くあたしのこと忘れて……

 

 

梶は時間が止まったように、体を強張らせた。

 

 

「え……?なん……で?それってどういう……」

 

 

 

 

 

「ごめん」

 

 

 

今はまだそれしか言えない。

 

 

 

 

ホントにごめん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ごめんって何だよ。好きな奴でもいるのか?」

 

 

好きな人は……いる。

 

 

でも絶対に叶わない恋。叶えてはいけない恋。

 

 

許される筈のない恋。

 

 

 

 

 

あたしが黙っていると、

 

 

「納得いかねぇよ。何でだんまりなんだよ」

 

 

と梶は低く声を出した。

 

 

 

 

 

「優輝~、サッカーしにいこうぜ♪」

 

 

遠くの方で男子が梶を誘う声が聞こえた。

 

 

「俺は、納得しないからなっ!」

 

 

それだけ言うと、梶はくるりとあたしに背を向けて行ってしまった。

 

 

当たり前だよね。

 

 

誰だって理由を説明してくれなきゃ納得できない。

 

 

あたしは神代が乃亜姉にしたことをやってる。

 

 

それは許されないことなのに。

 

 

 

 

 

でも、然るべきとき―――

 

 

 

その時が来たら全部話すつもりだ。

 

 

梶には反対されるだろうけど。

 

 

ううん、あたしのやろうとしてることは明良兄だって反対する。

 

 

 

 

でも今更引き返せない。

 

 

 

あたしの決心は誰にも覆せない。

 

 

 

 

それが例え乃亜姉だとしても―――

 

 

 

 

 

 

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誰かを好きになったら、その誰かは必ずしも応えてくれるわけじゃない。

 

 

梶……あたしは梶の気持ちに応えられなかった。

 

 

 

誰かを好きになっても、絶対に手が届かないと分かっていたら?

 

 

神代……それでもあんたは保健医に気持ちに伝えたね。

 

 

 

誰かを好きになっても、最初からその気持ち自体禁忌だったら?

 

 

明良兄……“血”に縛られてホントに気持ちをいつまでも伝えられない……

 

 

 

 

 

 

誰かを好きになって、その気持ちが自分を追い詰めることもある。

 

 

今なら乃亜姉の気持ちが少し分かる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

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―――

 

 

「「テストお疲れ様~」」

 

 

あたしのウーロン茶の入ったグラスと、神代のビールのグラスがコツンと合わさった。

 

 

「は~、これで一段落♪」

 

 

そう言って神代はおいしそうにビールを飲んだ。

 

 

今日は野菜たっぷりのちゃんこ鍋。二人のまん中には鍋が湯気をあげていた。

 

 

「鬼頭学年一位おめでとぅ」

 

 

「ありがと。ねぇ先生ご褒美ちょうだい?」

 

 

「ご褒美?」何を要求されるのだろう、と言った感じで神代がちょっと身を引いた。

 

 

「そ。クリスマスイブ、デートしてよ。前言ってたジャン。カラオケ行こうって。先生の好きなあゆ歌ってあげるから」

 

 

「デート…?」

 

 

神代はちょっと考え込んでるみたいに首を傾けた。

 

 

「先生彼女いないんだし、どうせ暇でしょ?」

 

 

あたしの発言に神代はムッと唇を尖らせた。

 

 

「暇だけど……」

 

 

「じゃ決まり!あたしデートって初めてなんだ♪」

 

 

「初めて?」

 

 

神代が驚いたように目をぱちぱちさせた。

 

 

「何よ。悪い?」

 

 

「いや、鬼頭はもてるだろうから今まで彼氏がたくさんいたのかな、って勝手に思ってて」

 

 

「彼氏なんていないよ。だからデートも初めて」

 

 

「そっか」

 

 

神代は何やら嬉しそうににっこり頷いた。

 

 

 

 

 

最初で最後のデート。

 

 

 

 

思い出を作って、一生忘れないよう胸に刻んでおくの。

 

 

 

一生……

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――

 

テストが終わると、あっという間に終業式がやってきた。

 

 

梶とはあれ以来口を利いていない。

 

 

何かあたしを避けてるようにも見える。

 

 

まぁ無理もないか。

 

 

 

 

 

今日から冬休み。

 

 

冬休みはたった2週間だけど、あたしはもう梶とは会うことはない。

 

 

 

 

梶は男子5人ぐらいで群れをなしていた。

 

 

その輪に歩いていき、あたしは思い切って声をかけた。

 

 

「梶」

 

 

梶が驚いたようにこちらを振り向く。

 

 

唇を結び、目を開いている。

 

 

 

あたしはその顔に向かって言った。

 

 

 

 

 

 

 

「ばいばい」

 

 

 

 

 

 

「お、おう。また……な」

 

 

梶はぶっきらぼうに返してきた。

 

 

 

 

 

ごめんね、ホントのことあたしの口から喋れなくて。

 

 

でも梶が納得いく理由は必ず明良兄から伝えてもらうから。

 

 

 

 

 

だからバイバイ。

 

 

 

今までありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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―――

 

 

 

一旦神代のマンションに帰ってあたしは制服から私服に着替えた。

 

 

いつか乃亜姉とお揃いで買った白の総レースチュニック。

 

 

偶然にも神代が好きな色だ。

 

 

乃亜姉はこの服を着て大好きな人とデートをするんだ。って嬉しそうに言ってたっけ。

 

 

乃亜……、今日乃亜の夢が一つ叶うよ……

 

 

 

 

 

短いデニムパンツをはいて、首には茶色のファーティペット。足元は……

 

 

何にしようって悩んでると、

 

 

神代が帰ってきた。

 

 

「ただいま~」

 

 

神代はあたしを見ると、驚いたように目を開いた。

 

 

「な、何?変かな……」

 

 

「う、ううん。すっごく可愛い。似合ってるよ」

 

 

ちょっと俯いて顔を赤くしてる。

 

 

良かった。似合ってるって……そう言ってくれて。

 

 

乃亜……

 

 

好きな人に可愛いって言ってもらえるってこんなにも嬉しいんだね。

 

 

あたしはファーティペットを握り締めた。

 

 

 

 

「あれ?でも……その服どこかで……」

 

 

ふいに神代が顔をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「何?」

 

 

「いや、どっかで見た気がしたんだけど……」

 

 

神代はどこだったかな、と言って首を捻ってる。

 

 

どこって……

 

 

 

 

 

 

乃亜姉の病室。色違いで買ったチュニックが飾ってあったんだ!

 

 

やばっ!

 

 

「最近流行ってるから。こうゆうの。どっかで見たんじゃない?」

 

 

「そっか~」

 

 

あたしの言い訳も神代は気にしてない様子で、自分もスーツのジャケットを脱いでる。

 

 

ジャケットをソファに置いてシャツのボタンに手をかける。

 

 

あたしがじっと見てると、

 

 

「あの……着替えたいんですけど」と神代が恥ずかしそうに半目であたしを見た。

 

 

「何よ。男でしょ?もったいぶるもんでもないでしょうが」

 

 

あたしは言ったけど、神代は嫌だったらしくあたしは寝室に追いやられた。

 

 

 

 

 

びっくりした。

 

 

 

だって、服を脱ぐ姿が……何て言うか色っぽく見えて……

 

 

 

そう言えばあいつ、ああ見えて細マッチョだったなぁ。

 

 

 

あの手に触れられたい。

 

 

あの腕に抱きしめられたい。

 

 

 

キスをして、抱き合いたい。

 

 

 

欲望は果てしない……ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私服に着替えた神代と一階の駐車場に。

 

 

神代の今日の服装は、グレーのカットソーにブラックデニム。ジャケットは黒で、首からシルバーのアクセがぶら下がっている。

 

 

悔しいけど、かっこいいじゃん。

 

 

 

 

車に乗り込んだ神代が、

 

 

「あ、しまった。これ、まこに借りっぱなしだった」

 

 

と言ってシルバーのジッポライターを手にした。

 

 

「ついでだから返しに行っていい?」

 

 

「え?うん。いいけど、わざわざ今から?」

 

 

「7万もするライターなんだ。無くなって今頃騒いでるかも」

 

 

悪戯っぽく笑った顔にきゅっと心臓が縮まる。

 

 

可愛い。

 

 

その笑顔に免じて。

 

 

「いいよ。返しに行こう」って言ってしまった。

 

 

このときの言葉をあたしはあとになって後悔することになる。

 

 

そんなこと言わなきゃ良かったって―――

 

 

 

 

 

 

―――

 

 

車で15分で保健医のマンションに到着した。

 

 

「車で待ってればいいのに。外は寒いよ」

 

 

一緒に車から出たあたしに神代が言う。

 

 

「ううん。いいの」

 

 

一緒にいたいの。少しでも長く……

 

 

 

 

 

そんなことを考えてたら、エントランスから保健医が出てきた。

 

 

コートを着た千夏さんの背中も見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.391


 

 

「あ、ま……」

 

 

と神代は声を掛けようとしたとき、こちらに気づいていない保健医は、

 

 

千夏さんの肩に腕を回して彼女を引き寄せた。

 

 

 

 

 

そのまま強引かと思われる仕草で、千夏さんにキスをする。

 

 

 

 

 

キス……

 

 

 

 

隣の神代をそっと伺ったら、彼は振り上げた手を行き場のない手を宙ぶらりんにしてただ、ぼんやりとその様子を見ていた。

 

 

「先生……」

 

 

あたしはそっと神代に問いかけた。

 

 

ほとんど消えてしまう程の小さな声で。

 

 

 

「せんせ……」

 

 

もう一度問いかけてみると、神代の形の良い目から涙が一粒零れ落ちた。

 

 

先生―――

 

 

泣いてる……?

 

 

 

声もなく、表情を崩すこともない。ただ静かに一筋の涙だけを。

 

 

流していた。

 

 

 

 

男の人の涙を見るのは初めてだった。

 

 

でもきっと、こんなに綺麗に泣く男の人はこの人だけだろう……

 

 

 

 

 

 

 

好きな人が自分を見てくれない。

 

 

その気持ちが痛いほど分かる。

 

 

胸にいばらが刺さったように、ずきずきと……

 

 

 

痛いよ。

 

 

 

 

あたしもいつの間にか涙を流していた。

 

 

それがこんなにも悲しくて寂しいことだなんて思わなかったよ。

 

 

 

 

あたしは神代の下がった冷たい手に自分の手を伸ばしそっと握った。

 

 

 

 

神代はそっとあたしの手を握り返してきた。

 

 

その手は思いのほか温かくぬくもりを感じた―――

 

 

 

大丈夫、あなたの好きな人があなたを見ていなくても、

 

 

 

あたしはあなたのことずっと見てるから……

 

 

 

ずっと……

 

 

 

そんな思いを込めて、あたしは神代の指に自分の指を絡めた。

 

 

 

 

 

 

 

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