TENDRE POISON 

~優しい毒~

『陰謀、企み、そして恋心』

◆午前1時のリズム


 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「先生好きな人はいる?」

 

 

と、唐突に鬼頭に問われた。

 

 

何故―――......そんな質問を?

 

 

僕は顔をしかめて、

 

 

「好きな人はいないよ……」と答えた。

 

 

 

僕は鬼頭に一つ嘘をついた。

 

 

 

 

彼女は何でも見透かしていそうな漆黒の瞳を細めて、

 

 

「ふぅん」と呟いただけだ。

 

 

納得したような、してないような相変わらず何を考えているのかはさっぱりだ。

 

 

 

だけど。

 

 

「じゃあ気になる人は?」

 

 

鬼頭はさらに聞いてくる。

 

 

何だろう、今日はやけに饒舌だな。

 

 

 

 

 

「気になる人もいない」

 

 

僕は今度ははっきりと答えた。

 

 

 

「じゃ、立候補してい?」

 

 

鬼頭が頬杖をついて上目遣いで聞いてくる。

 

 

とても可憐で可愛らしい仕草だった。それは年相応の可愛さを滲ませている。

 

 

思わずドキリと心臓が音を立てる。

 

 

 

 

だが、僕はその考えを振り払うように頭を振ると、

 

 

「冗談はいい加減にしなさい」

 

 

とちょっときつめに言った。

 

 

 

 

 

すると鬼頭はちょっと眉をしかめて、こちらを睨んできた。

 

 

鋭い視線に思わず居すくんでしまう。

 

 

 

 

 

「先生、あたしが今まで先生に好きだって言ったこと、あれ全部冗談だと思ってるんでしょ。いつもいつもはぐらかして、あたしは子供じゃないんだよ」

 

 

 

え?冗談じゃないのか…?

 

 

そんな顔をしていたのだろう。

 

 

 

「冗談じゃない。こっちは本気でぶつかって来たのに」

 

 

 

 

 

え?本気―――だった……

 

 

 

P.103


 

 

 

「先生だから、初めてキスもしたのに。

 

 

先生はあたしのこと、冗談だと思ってたんだ」

 

 

鬼頭の鋭い刺すような視線を感じながら、僕はたじろいでいた。

 

 

 

 

 

気をつけろ。

 

 

また、まこの言葉が蘇る。

 

 

はっきりと、鮮明に。

 

 

まるでまこに近くから見張られているようだった。

 

 

彼は言うだろう。

 

 

 

「しっかりしろ。お前それでも教師か?」と。

 

 

 

そう、僕は教師だ。

 

 

 

生徒の好意に応えることはできない。

 

 

 

 

 

 

「ごめん。気持ちは嬉しいけど、僕は君の事を大切な生徒としか見てないんだ」

 

 

まるでテンプレのような答えだ。正解があるのならこれしかないだろう。

 

 

けれどこの答えは僕自身にも言い聞かせるため、わざとハッキリと少し強めに言い放った。

 

 

鬼頭は瞬きをすると、肩をそっと撫で下ろした。

 

 

 

「最初からそんなこと知ってたよ。受け入れてくれることがないってわかってたからちょっと意地悪言っただけ」

 

 

ため息を吐いて、瞳を伏せる。

 

 

長い睫が頬に影を落としていた。

 

 

 

 

伏せられた瞳のまぶたがわずかに震えている。

 

 

眉も寄せられて、ひどく哀しそうだった。

 

 

 

 

こんな表情の鬼頭を見たことがない。

 

 

 

 

 

 

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「教師と生徒だからだめって言うの……?そんなの割り切れないよ。

 

 

好きな人でもいれば諦められると思ったのに」

 

 

俯いた顔からぽつりぽつりと言葉が漏れる。

 

 

 

ほんとに…

 

 

 

ごめん―――

 

 

 

「鬼頭に言われたとおり、僕に好きな人がいれば君は諦められるのか?」

 

 

鬼頭が顔を上げた。

 

 

口元を引き締めて、目は真剣そのものだった。

 

 

 

 

僕はため息を吐くと、肘をついた。

 

 

今更......

 

 

さっき言った言葉を撤回するのはどうかと思ったが、僕に好意を持ってくれた鬼頭に対して、彼女が納得いく理由を与えてやりたかった。

 

 

「……僕は君に嘘をついた。

 

 

僕には好きな人がいる」

 

 

 

 

 

 

「そう……」

 

 

鬼頭は静かに返事をした。

 

 

別段嘘をつかれたことに怒ってる風でもなかった。

 

 

ただ、無表情だ。

 

 

 

 

「うん」

 

 

「……誰?学校の先生?」

 

 

 

え?何でそんなこと聞くんだろう。

 

 

 

 

 

だけど鬼頭を見る限り……と言うか彼女からは何も読み取れなかった。

 

 

学校の......僕と同年代の“女の”先生が意外に少ないことに、今更ながら気づいた。

 

 

僕はちょっと考えたのち、

 

 

 

 

「内緒」

 

 

 

 

と答えた。

 

 

 

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その後、鬼頭は何事もなかったかのように、黙々と作業をしていた。

 

 

彼女は僕に好きな人がいるってどう思ったんだろう。

 

 

僕のことを諦めたのかな……

 

 

でも……正直まだ信じられない。

 

 

 

 

彼女が本気で僕を想っていてくれたなんて。

 

 

鬼頭の視線はいつも熱が篭っていたけど、何となくそれは恋する温度ではなかった気がするんだ。

 

 

 

もっと他の感情―――悲しみ、哀れみ……

 

 

 

憎しみ―――

 

 

 

そう、一番何に近いって問われれば憎しみだ。

 

 

 

でも僕は彼女に恨まれることなんて何一つしていない。

 

 

たぶん……

 

 

 

 

 

鬼頭が分からない。

 

 

何を考えてるのか分からない。

 

 

どう接していいのか分からない―――

 

 

 

 

今日もこの準備室はタンドゥルプワゾンが香ってる。

 

 

 

 

 

そう、それは毒―――

 

 

 

 

 

優しい毒だ

 

 

 

 

 

 

 

 

P.106


 

 

 

 

―――――

 

―――

 

 

キーンコーンカーンコーン

 

 

鐘の音とともに教室からわっと生徒が飛び出してくる。

 

 

何ともない、いつもの光景だ。

 

 

僕は次の授業のため廊下を移動している最中だった。

 

 

 

 

 

「神代先生」

 

 

ふいに呼び止められた。

 

 

 

 

 

振り返ったら、鬼頭が立っていた。

 

 

明るいブルーの長袖ジャージ姿だった。

 

 

黒い髪は後ろで一つに束ねてポニーテールをしている。前髪も全部後ろにあげていてピンであちこち留めてある。

 

 

いつもと違った少し大人びた雰囲気に、

 

 

ドキリ……とした。

 

 

可愛い。

 

 

初めてこんな姿の鬼頭を見る。

 

 

 

 

「き、鬼頭どうした?」

 

 

普段見慣れない姿にどぎまぎして僕は思わず声を引っくり返えした。

 

 

「どうしたって、今日の約束覚えてるでしょ?犬見せてもらう」

 

 

「あ、ああ……」

 

 

そう言えば今日だっけ。

 

 

 

どうしよ......

 

 

 

 

 

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「その顔は忘れてたでしょ」

 

 

鬼頭はいつもどおりちょっと口角をあげて笑った。

 

 

いつもどおり……

 

 

まるで昨日何もなかったような口ぶりだ。

 

 

僕はそのことにほっとした。それと同時にちょっと残念な気がした。

 

 

僕は最低だな……

 

 

 

鬼頭が僕のこと少しでも引きずってくればいい、なんて考えるなんて。

 

 

 

 

「……忘れてた。でも何で分かった?」

 

 

「先生って顔に出すぎ。すぐに分かるよ」

 

 

鬼頭はちょっと笑った。

 

 

 

その笑顔が眩しくて、僕は思わず目を逸らした。

 

 

鬼頭の白い首元に視線をやると、黒い髪が一束ほつれている。

 

 

 

「鬼頭、髪ほつれてるぞ」

 

 

「ほんと?どこ?」

 

 

鬼頭は首に手をやった。

 

 

だが、首と同じぐらい白い手は的が外れていた。

 

 

 

 

「ここ」

 

 

僕が鬼頭の首元に手をやると、鬼頭はびくりと肩を震わせた。

 

 

 

 

「あ……ごめ……」

 

 

 

僕は慌てて手を引っ込めた。

 

 

 

 

P.108


 

 

「ううん。ありがと」

 

 

鬼頭は白い頬をほんのりピンク色に染めると、

 

 

「じゃ、放課後準備室で」と手を振りながら行ってしまった。

 

 

やっぱり……昨日の今日で吹っ切れるわけないか……

 

 

 

 

 

でも、今の反応は―――僕は自惚れてもいいのかな……

 

 

 

いやいや、だめだろ!

 

 

僕は首を振った。

 

 

 

 

 

「神代先生!」

 

 

また呼ばれた。

 

 

 

 

今度は鬼頭と同じクラスの梶田 優輝だった。

 

 

 

P.109


 

 

梶田は理由を言わず僕を校舎裏に引っ張って行った。文字通り「有無を言わさず」って感じだ。

 

 

彼も鬼頭と同じ学校のジャージ姿だった。

 

 

鬼頭のクラスは次の授業は体育のようだ。

 

 

 

 

校舎裏の一角―――ちょうど保健室の窓がある辺りで、僕は乱暴に突き飛ばされた。

 

 

したたか壁に肩をぶつけた。

 

 

「っつ……何するんだ」

 

 

生徒からいわれの無い暴力を受けたのはこれが初めてで、驚いていたと言うのもある。反撃にでようと思えば梶田なんて簡単だが、いかんせん相手は生徒だ。僕が手を挙げることだけは絶対に許されない。

 

 

「何するって、こっちの台詞だぜ。あんた、鬼頭とどういう関係なんだよ」

 

 

梶田はすごい剣幕だ。

 

 

何やら僕たちの関係を疑っているようだ。

 

 

「どういうって、ただの教師と生徒だよ」

 

 

事実、そうだ。疑われるような関係じゃない。

 

 

「嘘だ!じゃぁ何で鬼頭はいっつもあんたと一緒にいるんだよ!」

 

 

「いつも一緒って…彼女には手伝いを頼んでるだけだから。それだけだよ」

 

 

 

 

 

「ホントにそれだけかよ」

 

 

梶田は僕の言葉が信じられないのか、諦めず食ってかかる。

 

 

僕は降参というように、両手を挙げて

 

 

「ホントにそれだけだよ。彼女とは何もない」と弁解した。

 

 

 

 

 

梶田は一応は納得したかのように、いからせた肩の力を抜いた。

 

 

「先生は、鬼頭のこと好きなのかよ」

 

 

だらり、と抜け切った両肩の先で指先が小さく震えていた。

 

 

これには僕も驚いた。

 

 

周りから見たらそう見えるのか?

 

 

 

 

 

「そんな感情ないよ。生徒としてしか見れない」

 

 

 

 

はずだ……

 

 

P.110


 

 

 

「ホントにそうなんだな」

 

 

念押しされるように再度聞かれ、

 

 

「誓って」

 

 

僕は真剣な顔で頷いた。

 

 

「一応は信じる。だけどなっ!鬼頭に何かしてみろ!ただじゃおかねぇからなっ!!」

 

 

梶田はそう捨て台詞を吐くと、さっと踵を返して行ってしまった。

 

 

 

 

後に残された僕は、

 

 

「何だよあれ……」

 

 

と呟いた。

 

 

大体『ただでおかない』って梶田は僕に何をするつもりなのだろう。力なら負けないけど、でも教育委員会に訴えられたりしたら......とちょっとぞっとしたが、だが梶田が勘違いするような関係じゃないから証拠も何もない。

 

 

 

 

 

「青い春ってやつですねぇ。」

 

 

 

ふいに頭上で声がして、僕は顔を上げた。

 

 

 

「よっ」まこが右手を上げて、僕を見下ろしてる。

 

 

「まこ……話聞いてたの?」

 

 

 

「聞こえたの。あんな大声で喚かれたら誰だって気づくさ」

 

 

まこはくっくっと笑っている。

 

 

「趣味が悪いな。聞いてたなら助け舟出してよ」

 

 

僕、一応襲われかけてたよね??

 

 

僕が唇を尖らせると、

 

 

「だって面白そうだったんだもん」

 

 

しれっとまこが言う。

 

 

 

 

 

「ガキはガキ同士仲良くやってろってーの」

 

 

 

 

まこがのんびりと頬杖をついた。

 

 

鬼頭と、梶田―――お似合いだ……

 

 

そっか......梶田は、鬼頭のことが―――

 

 

 

 

梶田は僕なんかよりずっと……彼女にふさわしい。

 

 

 

 

 

P.111


 

 

―――――

 

―――

 

 

あっという間に放課後になって、鬼頭が僕の準備室に顔を出す。

 

 

最近はこれがすっかり日課になっている。

 

 

いつもと変わらず、あまり無駄口を叩かずに黙々と作業をこなす。

 

 

今日の分を終えて、

 

 

「じゃ、行こうか」と僕は切り出した。

 

 

鬼頭はきょとんとして

 

 

「どこへ?」と言った。

 

 

僕は思わずがくりと肩を落とした。

 

 

「僕の家だよ。君が犬見たいって言っただろ?」

 

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 

いつも思うけど、鬼頭には彼女しかない独特なリズムがある。

 

 

僕はそのリズムにまだ慣れないでいる。

 

 

 

 

梶田なら……

 

 

彼なら、そんな彼女のリズムを敏感に感じ取ることができるのだろうか。

 

 

 

 

鬼頭と梶田―――

 

 

お似合いだ……と思う反面、

 

 

 

 

 

それが酷く羨ましくも思う。

 

 

 

 

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