TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午前10時の喧嘩


 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

体のあちこちがずきずきと痛んで熱を持ったように熱い。

 

 

辺りが騒がしい。色んな人の声がまるでノイズのように耳や頭の中に這い回ってる感じで酷く不快だ。

 

 

けど

 

 

「鬼頭!しっかりしろ!」神代の声が遠くで聞こえる。

 

 

神代の声だけは―――

 

 

何故か心地よく...しかもはっきりと感じたんだ。

 

 

 

 

「梶田!ちょうど良かった。まこを……保健室の先生を呼べ!ついでに救急車だ!」

 

 

「お、おい。何があったんだよ……」

 

 

梶の声も聞こえた。

 

 

 

「いいから!今すぐ呼んで来い!!」

 

 

 

神代の怒鳴り声を聞いてあたしはちょっとびっくりした。

 

 

そんな風に怒ったりする声、初めて聞いたよ。

 

 

 

 

勇ましくて、ちょっと……

 

 

かっこいいじゃん。

 

 

 

そもそもあたし何でこんなことになったんだろ。

 

 

 

――――

 

――

 

 

そうだ。三年の先輩たちの呼び出されたんだ。

 

 

校舎の三階。使われてない第二音楽室の前まで連れてこられて―――

 

 

「あんたどういうつもり!?」

 

 

学校内で一番綺麗で、神代に迫ったってフられたっていう先輩だ。

 

 

こうゆうの安っぽいテレビドラマとかで観た事ある。てかイマドキ本当にこんなことってあるんだ。

 

 

 

三年の先輩はお決まりの台詞を吐いた。

 

 

 

 

 

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「どうって話の趣旨が見えないんですけど」

 

 

あたしはことさらゆっくり言って腕を組んだ。テレビドラマじゃ大人しくて純粋な主人公は目の前のこっわい先輩に対してあからさまに恐怖を覚えるところだけど、生憎あたしはそんな可愛い性格じゃない。

 

 

「生意気な!あんた一年の梶田とかいう男子と付き合ってんでしょ。それでいて神代にもちょっかいかけてるっていうの?」

 

 

は?梶とは付き合ってないし。

 

 

「そうだそうだ」と周りにいる先輩たちがはやし立てる。

 

 

ホントにうざい。

 

 

一人では何にもできないくせに。よってたかって。

 

 

 

先輩は綺麗に整えた眉を吊り上げた。

 

 

「誤解ですよ。あたしは梶と付き合っていないし、神代先生にちょっかい出したつもりもないです」

 

 

「じゃああの写真はどう説明するんだよ?」

 

 

先輩が剣のある視線で眉をしかめる。

 

 

「信じる信じないは勝手です。話は終わりですか?じゃぁ帰りますね」

 

 

あたしが先輩たちの脇をすり抜けようとすると、綺麗な先輩があたしの肩を掴んだ。

 

 

「待ちなさいよ」

 

 

「まだ何か?」

 

 

あたしがうんざりしたように振り向くと、振り向きざまに平手打ちが飛んできた。

 

 

あたしの頬を直撃する。

 

 

 

 

「ったー」あたしは頬を押さえて先輩を見据えた。

 

 

先輩、あたしの信条知ってます?

 

 

 

 

やられたら二倍返しで返すってね。

 

 

 

 

 

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でも先に手を出してきたのは先輩ですよ?

 

 

だからこれは正当防衛ってことで。

 

 

あたしは手を振り上げた。

 

 

 

 

 

パシンッ!

 

 

 

気持ちがいいぐらいその音は響いた。はっきりと、その綺麗な横っ面を張り倒した、と言う実感はあった。

 

 

 

 

「った!何すんだよ!!」

 

 

先輩が目を吊り上げてあたしを睨んだ。頬を押さえている。

 

 

「てめ!何すんだよ!」周りの先輩たちも目くじらを立てて怒鳴り散らした。

 

 

「何って正当防衛」あたしは口の端を曲げてちょっと笑った。

 

 

 

「てめぇ!!」周りの女子たちがわっとあたしを掴みかかった。

 

 

先輩方のこんな姿神代が見たら引くだろうなぁ。

 

 

神代じゃなくても引くか。

 

 

 

 

 

 

でも、あたしだってやられっぱなしじゃいられない。

 

 

小さい頃は空手だってやってた。腕には自信がある。

 

 

喧嘩は好きじゃないけど、正当防衛だもん。仕方ないよね。

 

 

 

 

多勢に無勢。卑怯なやり方だ。でも負けていられない。

 

 

負けるわけにはいかないんだ。

 

 

そんなわけでつかみ合いの喧嘩をしていたら、神代が現れた。

 

 

 

 

「鬼頭―――」

 

 

 

神代は大きな目を見開いてあたしをじっと見つめていた。

 

 

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神代の登場で一瞬気が緩んだんだ。

 

 

ヒートアップした先輩に、踊り場にかかってるガラス製の額縁に打ち付けられた。

 

 

結構な勢いだ。

 

 

 

ガラスが割れる激しい音がして鋭い痛みが肩や肘、腰に感じた。

 

 

 

 

 

一瞬―――何が起こったのかわからなかった。

 

 

ただ、

 

 

「鬼頭!!」という神代の叫び声を聞いて、

 

 

 

あたしは自分の手のひらをみつめたんだ。

 

 

 

 

 

 

そしたら手のひらが真っ赤に染まってた。

 

 

 

血―――……

 

 

 

それから追いかけるように、じわりじわりと痛みがやってきた。

 

 

 

 

 

 

不思議だね。

 

 

 

あのとき乃亜姉の手首から流れた血と同じ色をしてたんだ。

 

 

 

あたしの血はもっと汚れて黒くなってると思ったら、

 

 

 

乃亜と一緒だったんだ。

 

 

 

 

遠くで神代が「ごめん……」と小さな声で囁いているのが聞こえた。

 

 

 

それは夢か現かあたしには―――分からなかった。

 

 

 

 

 

 

―――それからが大騒ぎだった。

 

 

保健医が駆けつけてきて、応急処置をしてくれたけど血は止まらなくて、救急車が来た。

 

 

担任や教頭、その他手のあいた先生たちもかけつけて場は騒然となった。

 

 

救急車には保健医が同乗した。

 

 

保健医も珍しく表情を険しくして、何やら専門的な言葉で救急隊員と話し込んでた。

 

 

さすが。だてに保健医をやってるわけじゃなかったんだね。

 

 

 

 

 

それからの意識がない。

 

 

 

 

 

 

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―――

 

 

手のひらに温かいぬくもりを感じる。

 

 

大きな手があたしの手を握ってる。

 

 

優しい感触。

 

 

 

 

 

あたしはゆっくりと目を開けた。

 

 

白い天井が視界に飛び込む。

 

 

でもちらりと視界の端に映った窓の外はとっぷりと夜の闇が押し寄せていた。

 

 

今、何時頃なんだろう……

 

 

 

「……ここは?」

 

 

「よ。目が覚めたか。ここは病院だ」

 

 

すぐ近くに保健医の姿があった。

 

 

ゲ!

 

 

っていうことは手を握ってるのは保健医?

 

 

あたしはそろりと手元を見やると、手を握っていたのは神代だった。そのことにちょっと安堵感を覚える。

 

 

 

神代はベッドの脇の椅子に座ってベッドに顔を伏せて眠りこけている。

 

 

いつか見た、優しい寝顔……

 

 

子供のようなあどけない寝顔。

 

 

 

 

「水月はお前からずっと離れなかったんだ」

 

 

保健医はやれやれと言った感じで肩をすくめた。

 

 

 

「あたし……」

 

 

何とか起き出そうと上体をずらすと、鋭い痛みが肩や腕に走った。

 

 

「っつー!」

 

 

「無理するな。肩を5針、腕を5針、腰を3針も縫ったんだ。けど傷あと、残らないらしいぜ。良かったな」

 

 

そう言って保健医はあたしの頭をそっと撫でた。

 

 

 

 

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いつになく優しい手付きにあたしは拍子抜けした。

 

 

厄介ごとに巻き込んで!とか言って怒鳴られるかと思ったのに。

 

 

「3週間後に抜糸だ。それまでは安静にするように。あと、入院は必要ないらしいぜ。このまま家に帰るか?送ってくよ」

 

 

あたしが何て答えようか迷っていると、あたしの手を握った神代の肩がぴくりと震えた。

 

 

 

「……ん」

 

 

小さく身じろぎして、神代が目を開けた。

 

 

横たわったままのあたしと目が合うと、神代はがばっと起きだした。

 

 

「鬼頭!大丈夫か?」

 

 

「うん……

 

 

ずっと……ついててくれたの?」

 

 

神代は心配しているのか、悲しんでいるのか複雑な表情を浮かべて小さく頷いた。

 

 

 

 

 

「ごめん……僕のせいで……」

 

 

「お前に傷を負わせた生徒はすぐに見つかった。あいつら、お前をそこまで追い詰める気はなかった、とよ。

 

 

言い訳せずすぐ白状したから...まぁあいつらも動揺してたんだろうな。

 

 

でも、とっつかまえてしっかり説教してやったよ。

 

 

 

俺としては訴えることも可能だと脅しかけといたけど、学校側はそれだけは!って焦ってた」

 

 

と保健医が、ふんと鼻を鳴らした。

 

 

 

あたしは二人を見比べると、

 

 

訴え......?まぁ事実あたしは大怪我を負ってるわけだからこれは立派な傷害罪だ。だからこそ、学校側が焦る気持ちもちょっと分かったり。

 

 

保健医がそう言い出したことが意外だった。だってこいつはあたし味方じゃないから。

 

 

でも

 

 

「別に……先生のせいじゃないよ」とそっけなく答えた。

 

 

 

 

神代の悲しい顔なんて見たくなかったから。

 

 

優しいその顔が悲しみに曇った表情を直視できなかったから、あたしは彼から目を逸らした。

 

 

だって向こうから先に手を出してきたと言っても、こっちも手を出したのは間違いないし。

 

 

見ようによっちゃ過剰防衛だともとれる。

 

 

あたしは押し黙った。

 

 

 

 

 

すると神代は少し力を入れてあたしの手を握ってきた。

 

 

 

 

 

 

「鬼頭、しばらくうちに来ないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「「は!?」」

 

 

あたしと保健医の声がきれいに重なった。

 

 

開いた口が塞がらないないあたしは口をぱくぱくさせるだけだった。

 

 

「おまっ!何言い出すんだよ!仮にも教師と生徒だぜ」

 

 

一足早く口を開いたのは保健医だった。

 

 

「分かってるよ。でも、鬼頭を怪我させたのは僕のせいだから、償いというか色々大変だろうから面倒見てやりたいんだ」

 

 

「だからって自分の家に来させるなよ。面倒見るのもいいが、過剰すぎるとまた問題が起こる」

 

 

保健医は眉を吊り上げて怒鳴った。

 

 

 

あのぅ。ここ一応病院なんですけど。

 

 

「さっき鬼頭のご両親に連絡したら、まだあちらから帰って来れそうにないらしいんだ。本当は僕が鬼頭の家に行くほうが良かったけれど、一人暮らしの娘さんのところに行くのはちょっと常識的にどうかな?って思ったんだ」

 

 

そりゃそうだ。

 

 

それにうちに来られても困る。隣には楠家があるから。

 

 

 

「それに僕の家にはゆずもいるし、だからうちに来ないか?一人だと何かと大変だから」

 

 

神代は冗談で言ってるようには見えなかった。

 

 

色素の薄い両目は真剣そのものだった。

 

 

 

 

神代のマンションに、あたしが?

 

 

少し計算違いがあったものの、

 

 

 

 

 

 

 

これって願ってもないチャンスじゃない?

 

 

 

 

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「うん。行く」

 

 

あたしは返事を返した。

 

 

「鬼頭!」

 

 

保健医が怒鳴った。

 

 

あたしは保健医の怒り顔を見据えた。

 

 

「だってあたし独りで不安なんだもん。大人の人がいればそれだけで安心できるし」

 

 

嘘だけど。あたし一人でも十分過ごせるけど。

 

 

 

保健医は腕組みをして、片方の手で額を押さえた。

 

 

「ったく。水月もどうかしてるよ。言い出したら聞かない頑固なところは昔から変わってないな。

 

 

でも、今度二人でいるところを見られたらお前どうするんだ?もう学校には居られなくなるぞ」

 

 

神代は保健医を見上げると、あたしの手を一瞬強く握ってそっと離した。

 

 

まるで見えない決意をあたしに伝えるかのような仕草だった。

 

 

 

 

 

「そのことでちょっと話が……」

 

 

立ち上がると、神代は保健医を病室の外へ促した。

 

 

何だよ?とぶつぶつ言いながらも保健医は神代に言われるままに外へ足を向けた。

 

 

「鬼頭、ちょっとまこと話があるんだ。すぐ戻るから」

 

 

とそそくさと二人して部屋を出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

何?話って。二人で何こそこそしてんのよ。

 

 

そう聞きたかったけど、今のあたしにそんな気力残されてなかった。

 

 

 

 

 

二人が何話してるのか、なんていいや。とりあえずは敵の懐に飛び込めそうだから、あとは成り行きに任せるしかない。

 

 

 

あたしは布団を顔まで引き上げた。

 

 

 

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二人が戻ってきて、すぐ後に傷を縫合してくれた外科医の先生が現れた。

 

 

保健医が言ったように、三週間後にまた抜糸があるからそれまでは定期的に消毒にくるよう言われて、「帰っても大丈夫だよ」とニコニコ顔で言われた。

 

 

あたしは神代の運転する彼の車に、保健医と一緒にあたしんちに向かった。

 

 

もちろんあたしの家を見られるわけには行かないから、近くのコンビニの駐車場で待ってもらった。

 

 

家が古くてぼろいから見せたくないとか何とか適当な言い訳を二人は黙って聞いてたっけ。

 

 

保健医も先ほどの勢いはどこへやら、じっと黙ったまま気味の悪い沈黙を守っていた。

 

 

神代が何か言ったんだ。

 

 

それを納得したのか、あるいはしきれていないのか。

 

 

分からなかったけど、今のあたしには関係ないや。

 

 

 

 

ドアに鍵を差し込むと、またもや鍵が開いていた。

 

 

玄関口には男物の靴。

 

 

 

 

あたしは小さく吐息を漏らした。

 

 

ここにも一人説得しなきゃいけない人間がいる。

 

 

ある意味保健医より強敵かも......

 

 

 

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「ただいま。明良兄……」

 

 

そっとリビングのドアから顔を覗かせると、ソファに座って腕を組んでいた明良兄がぱっと顔を上げた。

 

 

「雅!?大丈夫なのか?」

 

 

切羽つまったように表情を緊迫させて走ってくる。明良兄も噂で三年の先輩と喧嘩してあたしが怪我したことを知ったのだろう。

 

 

「……うん、大丈夫」

 

 

あたしは傷の具合と、ことの成り行きを手早く明良兄に話して聞かせた。

 

 

行くな!って言われるのを覚悟で。

 

 

 

 

 

だけど明良兄の答えは、

 

 

「行くなっつってもいくんだろ、お前は」と言いながら顔を背ける。

 

 

「……いいの?」

 

 

「いいわけないだろ!」一言怒鳴ってあたしに顔を戻す。

 

 

 

 

「でも俺はお前を止められない。何でか知らないけど、お前を今止められるのは俺じゃなくて誰かでもなくて、お前の中に住み着いているたった一人しかいないんじゃないかって気がする」

 

 

「あたしの中に住み着いてるたった一人……」

 

 

 

それって乃亜姉のことかな……?

 

 

 

明良兄は困ったように前髪をぐしゃりとかきあげた。

 

 

 

「それにお前を止めて、もしお前が乃亜みたいになっちまったら。それこそ俺やり切れない」

 

 

「明良兄……」

 

 

 

 

「だから止めない。行ってこい。だけどな、これだけは言っておく。

 

 

何かあったら絶対俺を呼べよ。俺が必ず飛んでいくから」

 

 

 

うん……。

 

 

 

明良兄……ありがとう。

 

 

 

明良兄……乃亜姉、見てて。

 

 

 

 

 

 

あたしが必ず復讐を遂げる。

 

 

 

何があっても。

 

 

 

 

 

 

 

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