TENDRE POISON 

~優しい毒~

『血の涙』

◆午前2時の告白


 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

どうしようか……

 

 

勢いで泊まるなんて言っちゃったけど。

 

 

「朝食は朝7時から9時の間に一階の食堂に用意してあります。どうぞごゆっくり」

 

 

ペンションの店員はにこにこ顔で出て行った。

 

 

あたしたちは店員さんにどんな風に見られているのか気になったけれど、店員はそれほど興味がないのか、或いは深く突っ込むことが良くないかと思ったのか、あたしたちの関係について特に何かを聞いてくることはなかった。

 

 

部屋は青と白を基調とした可愛らしい部屋だ。

 

 

なんて言うのかな?人魚姫が住むんだったらまさにこんな部屋だよね、って思える女の子受けのいい部屋だ。

 

 

壁際に白い木でできたドレッサーがあり、その上に小さなクリスマスツリーが置いてあった。

 

 

 

そう言えば今日はクリスマスだった。

 

 

 

 

「鬼頭、先シャワー浴びといで。その格好じゃ風邪引くよ」

 

 

神代はそっけなく言うと、ベッドに腰掛けた。

 

 

なんだろう。

 

 

ペンションに入るなり急に黙りこくって。

 

 

あたしの方を見ようともしない。

 

 

それが何だかムカムカした。

 

 

 

 

「じゃ、お先に」

 

 

あたしもそっけなく言うと、慌しくバスルームに入った。

 

 

 

 

何よ、あの態度は。

 

 

 

何か怒ってるの?

 

 

あたしが勝手に泊まるって言ったから?

 

 

もやもやした何かを抱えたまま、あたしは熱いシャワーを浴びた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――

 

 

「おさき」

 

 

用意されたバスローブに着替えて、あたしが濡れた髪をバスタオルで拭きながらバスルームから出てくると、

 

 

神代は立ったままタバコを吹かして、窓の外をぼんやり眺めていた。

 

 

男の人にしては少し華奢な背中。だけど軟弱に見えないのが不思議だ。

 

 

その背中が妙に寂しそうに見えた。

 

 

 

 

神代はあたしの言葉に軽く首を振って頷いただけだ。

 

 

やっぱりこっちを見ようとしない。

 

 

 

「先生?」

 

 

「ん?」

 

 

あたしは振り返ろうとしない神代の背中に問いかけた。

 

 

「何か怒ってる?

 

 

もしかしてあたしが勝手に泊まるって言っちゃったから。ゆずの心配でもしてる?」

 

 

ここで初めて神代が顔だけをちょっと後ろに向けた。

 

 

「いや。ゆずの心配はしてるけど、一日ぐらい大丈夫だよ。

 

 

それに怒ってない」

 

 

 

 

 

「うそ。怒ってるよ」

 

 

あたしはバスローブの裾をぎゅっと握った。

 

 

 

「怒ってないって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃぁ何であたしの方を見ようとしないの?」

 

 

たまりかねてあたしは神代の腕に手を伸ばし袖を掴んだ。

 

 

 

 

こんなのやだよ。

 

 

 

せっかく二人きりなのに。

 

 

 

せっかくのデートなのに。

 

 

 

 

 

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「こっち見てよ」

 

 

あたしを見てよ。

 

 

あたしは額を神代の腕にくっつけた。

 

 

「鬼頭……」

 

 

神代は驚いたように、目を開いてあたしを見下ろしている。

 

 

琥珀色をした瞳が動揺しているのか揺れていた。

 

 

「鬼頭、離しなさい」

 

 

神代がやんわりとあたしを引き剥がそうと、あたしの腕に触れた。

 

 

 

 

 

「やだ!じゃぁこっち見てよ」

 

 

子供じみたことをしてると思った。こんなのただの我侭だ。

 

 

だけど、どうしてもあたしを見て欲しかったんだ。

 

 

神代に無視されるなんて、今のあたしには絶えられないことだったから。

 

 

 

 

 

 

「―――っつ!」

 

 

神代は眉を寄せてひどく苦しそうに顔を歪めた。

 

 

何が彼をこんな風に苦しめるのだろう。

 

 

何が彼をこんな顔させるのだろう。

 

 

 

 

そんな顔しないで。

 

 

そんな切ない目であたしを見ないで。

 

 

 

 

 

そう思ってあたしは思わず神代の袖を掴んでいた手に力を入れていた。

 

 

神代は「ちょっとごめん。タバコ」と言って根元まで灰で白くなったタバコを灰皿に押し付けた。

 

 

火がきっちり消えるのを確認すると、前触れもなく神代があたしに向き直った。

 

 

 

 

 

 

ふわり。

 

 

 

神代のシャンプーの香りを感じる暇もなかった。

 

 

 

 

 

あたしは神代に抱きしめられていた。

 

 

 

 

 

 

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さっきの海で抱きしめられたときと違う。

 

 

もっと激しくて、苦しいぐらい。

 

 

 

 

 

体温が、息遣いが、心臓の音が……全てが今まで感じたことがないぐらい近くにある。

 

 

怖い……

 

 

とは微塵も感じなかった。

 

 

でも……

 

 

 

「……先生?」

 

 

あたしがおずおずと問いかけると、

 

 

「こうゆうこと。鬼頭といると……自分を制御できなくなる」

 

 

 

神代はあたしの頭に顎をのせて、また切なそうに小さく呟いた。

 

 

あたしは神代の胸の中で目をしばたたいた。

 

 

神代の心臓はあたしよりずっと早く脈打っていた。

 

 

 

 

「それって……あたしを好きだってこと?」

 

 

「好きじゃない子とはこんなことしない」

 

 

 

恥ずかしいのか、緊張を和らげるのか神代は空咳をして囁いた。

 

 

 

 

これって神代の告白ととっていいのかな?

 

 

 

神代があたしを好き……?

 

 

 

ちょっと前までは保健医を好きだったのに、男って分からない。

 

 

 

ううん、あたしだってあんなに憎んでたのにいつの間にか神代を好きになってた。

 

 

人間って分からないね。

 

 

それはどれだけ難解な数式よりも英文法よりも難しいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「じゃぁエマさんのことも好きだったの?」

 

 

あたしはちょっと意地悪を言ってしまった。

 

 

神代の困った声を聞きたくて。

 

 

あたしってSかな?

 

 

「う゛」と案の定神代は詰まった。

 

 

あたしはちょっと笑うと、神代をそっと押しのけた。

 

 

 

「鬼頭?」

 

 

引き離された、腕を下ろし不安げにあたしを見つめてる。

 

 

あたしは神代の目をじっと見据えた。

 

 

何もかも、見通せそうなほど彼の目は澄み切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「そんな曖昧な言葉はいらない。聞かせて?先生の本当の気持ちを。本当の言葉を」

 

 

 

 

 

 

あたしどんな顔してるのかな。

 

 

 

神代はちょっと面食らったように目をぱちぱちさせていたが、やがて両腕をあたしの肩に乗せると口を開いた。

 

 

 

「鬼頭のことが……いや

 

 

 

雅を

 

 

 

好きになった。

 

 

 

 

 

 

愛してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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どうしよう……

 

 

嬉しい。

 

 

 

 

 

どうしようもなく。

 

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

この瞬間あたしは関わった全ての人に心から謝った。

 

 

 

乃亜姉……

 

 

先生をはめるつもりがあたしがはまっちゃった。

 

 

あなたの気持ちを裏切って……ごめんさい。

 

 

 

 

 

 

明良兄……

 

 

一生懸命あたしの計画を応援してくれてた、あたしのただ一人の理解者。

 

 

だけど、あたし先生を好きになってしまった。計画が狂っちゃったね。

 

 

ごめんね。

 

 

 

 

 

梶……

 

 

あなたの気持ちに応えられなくてごめんなさい。

 

 

 

林先生……

 

 

あたしの計画に巻き込んでごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

そして先生……

 

 

 

 

 

あなたを恋うることはこんなにも罪だと思っても、どうしてもこの気持ちが止められない。

 

 

 

好きになってごめんなさい。

 

 

 

 

 

罪と罰で創られた偽の恋は、ほんものになった。

 

 

だけどいずれか崩れる。見る影もないぐらいきれいに―――消える。

 

 

 

 

でも今だけは……

 

 

 

 

 

どうか、許してください。

 

 

 

 

この瞬間だけでもいい、先生をあたしにください―――

 

 

 

 

 

 

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神代の指がそっとあたしの頬をなぞった。

 

 

「き……雅、何で泣いてるの……?」

 

 

泣いてる?

 

 

あたしが……?

 

 

 

 

 

 

「嬉しくて」

 

 

 

あたしは何とか笑った。

 

 

うまく笑えたかな。

 

 

神代はふっと優しい笑顔を浮かべると、ゆっくりと顔を近づけてきた。

 

 

唇と唇がきれいに重なって、吐息が流れてくる。

 

 

温かくて、どこか甘い。

 

 

 

 

浅く、深く……キスを交わしながらいつの間にか腕を伸ばし、決して離さないように力を込めてきつく抱きしめ合う。

 

 

 

 

 

 

もつれた運命を現すかのように、複雑に舌を絡めた。

 

 

 

先生の口付けは、真っ黒だったあたしの憎しみや悲しみ、をまるできれいな何かに変えてくれる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベッドの上に向かい合って座る。

 

 

何だか気恥ずかしくてあたしは顔を赤くした。

 

 

だってあたし今何も着てないもん。

 

 

先生もだけど。

 

 

 

 

ドキドキするのは、当たり前だよね。

 

 

先生はあたしのまだ完治してない肩や腕にそっと触れた。

 

 

包帯はとれたけどまだ絆創膏は貼ってある。

 

 

 

「雅……まだ痛い?」

 

 

あたしは無言で首を横に振った。もうほとんど痛みはない。

 

 

先生はちょっと微笑んだ。

 

 

「怖かったら言って?」

 

 

「途中でやめれるの?」

 

 

あたしがちょっと挑戦的に神代を見あげる。

 

 

「う」と言って神代が苦い表情をつくる。

 

 

「努力します」

 

 

 

 

 

「……いい。努力なんてしないで。あたしを先生のものにしてよ」

 

 

 

 

 

 

神代が柔らかい微笑みを浮かべる。

 

 

あたし……この笑顔が大好き。

 

 

イエスキリストに少し似てる……

 

 

慈愛に満ちて、何でも受け入れれる寛容な心を持っていそうな。

 

 

 

この笑顔が大好き。

 

 

 

 

 

 

 

 

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狭い室内に二人の息遣いだけが聞こえる。

 

 

先生に触れられたところが熱を持ったように熱い。

 

 

 

 

……それにしても。

 

 

あたしは神代のすぐ下でさっと手をあげた。

 

 

「はい!先生」

 

 

あたしが場違いな声を出したからかな。神代もそれとなく察したんだろう。

 

 

「はい、鬼頭さん。何でしょう?」とちょっと意地悪く笑うとおどけて言った。

 

 

 

 

 

「い!痛い!マジで痛いんですけど!」

 

 

「うん、ごめん。我慢して?」

 

 

神代は宥めるようにあたしのおでこにチュッとキスをした。

 

 

ちょっ!

 

 

我慢してって、できるかぁ!

 

 

てか、神代こんな顔してSかよ。

 

 

 

 

 

 

ってか痛―――――い!!!

 

 

 

 

 

 

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―――

 

 

「痛った……」

 

 

神代はあたしを腕の中に抱きながら、もう片方の手で器用に背中をさすっている。

 

 

「自業自得でしょ。あたしの痛みに比べれば大したことないよ」

 

 

あたしはちょっとむくれて布団を引き上げた。

 

 

とは言うものの、やっぱり思い切り背中を引っかいちゃったのはまずかったかなぁ。

 

 

 

―――だって痛かったんだもん……

 

 

 

「死ぬかと思った」

 

 

神代の腕枕で横になりながらあたしはぽつりと呟いた。

 

 

学校の階段から落ちたときより痛い。いや、あのときあたし意識が朦朧としてたから分からなかっただけか...

 

 

神代はあたしの怪我してる方の肩に負担がかからないように、そっと腕を動かしながらちょっと笑った。

 

 

「そんな大げさな」

 

 

 

 

あたしは白い天井を見上げた。

 

 

神代の部屋と同じ、まっさらな染みひとつない綺麗な天井。

 

 

そういう白さを見ると無性に赤く染めたくなるのはあたしだけ?

 

 

そう、まるで血の色のように。

 

 

 

 

 

「死ぬって同じぐらい痛いのかな?」

 

 

「何言って……」

 

 

神代はちょっと笑ったけど、すぐに笑うのを止めた。

 

 

 

 

 

P.414


 

 

 

 

 

遠くで波の音がした。

 

 

引いたり満ちたり……そのリズムは定まっていない。

 

 

 

波の音を聞きながら

 

 

あたしはこの恋が終焉を迎えようとしていることを悟った。

 

 

 

 

それは引いていく潮と同じように音を立てて、だけど確実に。

 

 

美しいけど欠けていく月を止めることができないように。

 

 

 

 

 

「先生……痛かったけど、あたしは今すごく幸せだよ。忘れられない夜になった」

 

 

 

永遠に忘れることのない、幸せで―――悲しい夜。

 

 

 

そう、これは始まりの夜なんかじゃない。

 

 

あたしにとっては終わりを意味してる。

 

 

 

 

 

あたしがそれ以来黙りこくったからかな。神代は枕に肘をついてじっとこちらを見ていた。

 

 

「……やっぱ似てないな」

 

 

「は?」

 

 

「エマさんに」

 

 

「何でその女が出てくんだよ」

 

 

冗談抜きで殺したくなった、この男を。何で今言うんだよ。

 

 

「や。ホント言うとね、彼女を抱いたのは彼女が鬼頭に似てたからなんだ」

 

 

 

「え……?」

 

 

 

 

「言い訳に聞こえるかもしれないけど、本当はずっと前から鬼頭に惹かれてた。まこを好きだと言ったのは本当だったけど、その言葉で自分自身を武装してたのかもしれない。

 

 

そのことで鬼頭を傷つけこと……本当に悪かったと思う。

 

 

ごめん」

 

 

 

 

あたしは体をずらすと、神代に向き合った。

 

 

 

「いいよ。怒ってないって」

 

 

 

人が抱く感情は様々だ。

 

 

憎しみや、怒り、悲しみや―――愛情。

 

 

愛にも色んな種類がある。

 

 

 

 

 

その愛を、神代はエマさんに見出そうとしていたんだね。

 

 

あたしが梶に告られて悩んだように。

 

 

 

でも、それは幻想でしかない。

 

 

 

誰かの代わりを求めても、その誰かにはなれないんだから。

 

 

 

 

あたしは神代の顔を引き寄せるとそっとキスをした。

 

 

 

その唇はさっきまでの熱を含んでいなかったけれど、かわりに温もりに満ちていた。

 

 

 

あったかいな。先生の唇は……

 

 

 

 

その肌の下に流れる赤い血も

 

 

 

同じぐらい温かいのかな―――

 

 

 

 

 

 

 

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