TENDRE POISON 

~優しい毒~

『陰謀、企み、そして恋心』

◆午前4時の計画


 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

『雅、この件から手を引け―――』

 

 

明良兄の言葉が頭から離れない。

 

 

明良兄は何を思ってあんなこと言ったのだろう。

 

 

 

 

 

あたしはもう引き返せないところまで来てるっていうのに。

 

 

それとも……

 

 

あたしはまだ引き戻せる?

 

 

 

 

 

わかんない。

 

 

 

 

 

『まこ―――』

 

 

 

あのことがあってから、今日は一日神代と顔を合わせてない。

 

 

何度も視界の端に捉えたけど、彼の方を見ることはできなかった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

あたしは今乃亜姉が眠っている病院に来てる。

 

 

 

乃亜姉は相変わらず、白い顔をして眠っていた。いつもその頬はチークを乗せていないのにいつも薔薇色だったって言うのに。今は紙のように......いや、それ以上に色がない。

 

 

傍から見てると死んでるように見える。

 

 

ただ、生きていると言う実感はバイタルモニタの音と数字を見ないと分からない。

 

 

 

 

あたしは乃亜姉の白いほっそりした手をそっと握り、

 

 

 

 

「乃亜姉、あたしわかんなくなったよ……」

 

 

 

 

彼女の白い横顔に向かってそっと問いかけた。

 

 

 

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このまま計画通り進めていいのか。

 

 

それとも明良兄の言ったとおり、手を引くべきか……

 

 

 

 

でも一つ分かってることはある。

 

 

それは、神代は乃亜姉でもなく、あたしでもない……

 

 

 

『まこ』って女を大切に思ってるってこと。

 

 

 

 

「悔しいね」

 

 

あたしは再び乃亜姉の白い横顔に向かって話しかけた。

 

 

 

 

 

 

乃亜姉の肌のように白い病室はこざっぱりしてる。

 

 

壁に乃亜姉のお気に入りのチュニックが飾ってあった。

 

 

去年の今頃街であたしとおそろいで買ったチュニックだ。

 

 

薄いピンク色のレース編みで裾がひらひらしたやつ。ふわふわのファーティペットがセットになってる。

 

 

 

 

―――

 

――

 

 

「雅!これかわいい!これにしよ!」

 

 

街のデパートで二人で買い物してるときだった。

 

 

そう言って乃亜姉がチュニックを胸に当てた。

 

 

確かに乃亜姉が着ると可愛いだろうけど……

 

 

「え~?ちょと派手じゃない?」

 

 

あたしが答えると、乃亜姉は唇を尖らせた。

 

 

「ちっとも派手じゃないよ。これを着て“彼”とデートするの!」

 

 

「乃亜姉、その“彼”にも告ってないじゃん」

 

 

「これからだもん。ね、雅もこれにしよっ」

 

 

 

 

 

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「可愛い乃亜姉には似合うけど、あたしには……」

 

 

「何言ってるの!雅は可愛いよ」

 

 

乃亜姉はそう言って人差し指をあたしに突き立てた。

 

 

でもすぐに俯くと、悲しそうな表情をして、

 

 

「でもあたしの好きな人は雅のことを好きみたいなんだよね……」

 

 

 

 

――

 

―――

 

 

 

ちょっと待って。

 

 

 

あたしは回想から舞い戻った。いや、現実に引き戻されたって言った方が正しいのか。

 

 

あたしは大切なことを忘れていたのだ。

 

 

乃亜の好きな人があたしを好き…?

 

 

だって、その頃あたしはまだ中学生で神代の存在すら知らなかったんだよ。

 

 

 

え?

 

 

 

乃亜の好きな人って―――

 

 

 

あたしの頭の中でいろんなことがぐるぐると回った。

 

 

だって、最後に聞いた言葉が

 

 

 

『かみしろせんせい』だよ……

 

 

 

あたしは頭を振った。

 

 

 

 

 

あたしの復讐するべき相手は神代だよ……

 

 

だって乃亜……

 

 

 

あんなに苦しそうに名前を呼んだんだよ…

 

 

 

 

 

 

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わからない―――

 

 

全てが……

 

 

 

 

 

あたしは分からないまま乃亜の病室を後にした。

 

 

病院を出て駅に向かう途中、人ごみの中で梶の姿を見つけた。

 

 

寒そうに背中を丸めて首をすぼめている。

 

 

 

「梶!」

 

 

呼びかけると、梶は振り向いて最初はびっくりしたものの、にぱっと笑顔を返してきた。

 

 

 

 

 

「鬼頭!どうしたんだよ。お前授業が終わるとすぐ消えちまうから」

 

 

「ちょっと用事で。梶?何してんの?」

 

 

「俺?俺は暇だから、ぶらぶら」

 

 

 

 

 

 

「ふぅん。ね、暇ならカラオケ行かない?」

 

 

梶は目をぱちぱちさせてあたしを見た。

 

 

「え?マジで?」

 

 

「嫌ならいいけど」

 

 

「行く!」

 

 

梶は白い歯を見せて嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

本来なら梶の姿を見ても無視してたけど、今は何か他ごとに熱中したかった。

 

 

だから、カラオケでもなんでも良かったんだ。

 

 

 

余計なこと、考えたくないから。

 

 

 

 

 

 

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―――

 

 

何時間歌っただろう。

 

 

もう夜の9時だ。

 

 

「~♪」

 

 

梶が歌い終わって、あたしはタンバリンを鳴らした。

 

 

「梶、歌うまいね」お世辞じゃなく実際梶はうまいと思う。ジャンル問わず何でも歌いこなせる。

 

 

「サンキュ~、鬼頭もうまいよ」

 

 

梶は照れ笑いを浮かべたまま、あたしの隣に腰を下ろした。まぁそれはお世辞だろうな。

 

 

 

てか

 

 

?さっきまで向かい側に座ってたのに……

 

 

 

梶はコーラの入ったグラスを引き寄せて、ストローに口をつけた。

 

 

「あ、あのさ……」

 

 

 

「なに?」

 

 

次何歌おうかな。あたしは歌本を開きながら聞いた。デンモクはどうも使いづらい。ここ何年もカラオケボックスに来てなかったから使い方がよく分かんないんだよね。

 

 

そう言えば、口約束とは言え神代ともカラオケいく約束してたんだった……

 

 

神代が好きなあゆの歌を今日は一曲も入れてない。

 

 

何でだろ……

 

 

 

 

 

 

 

「……鬼頭って付き合ってる奴とかいるの?」

 

 

梶の問いにあたしは歌本から目をあげて梶を見た。

 

 

梶の横顔は薄暗い室内でもわかるほど真っ赤だった。

 

 

なんでそんな顔してそんなこと聞くんだろ。

 

 

 

 

「いないよ」

 

 

あたしはそっけなく答えた。

 

 

 

「じゃ、好きな奴は?」

 

 

 

 

 

 

 

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いないよ。

 

 

そう、答えるつもりだった。

 

 

だって事実そうだから。

 

 

でも……

 

 

言葉は出てこなかった。

 

 

 

 

 

「返事がないってことは“いる”ってとっていいのか?」

 

 

梶が眉間に皺を寄せてあたしの顔を覗き込む。

 

 

「……いないよ」

 

 

あたしは小さく答えた。

 

 

 

梶があたしの両肩を掴む。

 

 

あたしはびっくりして目を開いた。

 

 

 

 

 

「じゃあ俺と付き合って。

 

 

 

俺、ずっとお前のこと……

 

 

 

 

 

好きだったんだ」

 

 

 

 

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真剣な目……

 

 

いつもの冗談を飛ばしてふざけてる梶じゃない。

 

 

「ちょっ!ちょっと待って。ずっとっていつから……?」

 

 

的外れな質問をしてるって分かってたけど、あたしの頭がついていかない。

 

 

こんなの計算にないんだもん。

 

 

「最初から」

 

 

梶は真剣な目であたしをじっと見つめてきた。

 

 

黒い濁りのない目……

 

 

 

 

 

「一目見たときから、好きになってた」

 

 

あ~もぅ!、と言って梶はセットした髪をぐしゃぐしゃにかきむしった。

 

 

「俺、もっとスマートな男なのに。お前の前だとどうしてもかっこ悪くなっちまう」

 

 

そう言った梶の顔は真っ赤だった。

 

 

 

 

そんな梶を可愛いと思ってしまう。

 

 

あたしははっとなって、

 

 

「ちょっとトイレっ」

 

 

 

と慌てて立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

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どうしよう!

 

 

あたしどうしたらいい!?

 

 

こんな展開になるなんて……

 

 

 

 

あたしは頭でっかちでずる賢くて計算高くて、いつも人を見下した態度で接してて……

 

 

そんなあたしを何の損得勘定もなしで好きになってくれる人間なんていないと思ってたのに。

 

 

だから自分自身恋なんてしないと思っていた。

 

 

“恋愛”なんてあたしの頭の辞書には存在しない。

 

 

恋なんてそもそもばかばかしいと思ってた。

 

 

夢中になる理由が分からないって……思ってた。

 

 

 

でも、梶は違った。

 

 

そりゃ最初はあたしの見た目を好きになったかもしれないけど、もう半年近く友達やってる。

 

 

こんな酷いあたしのことを好きになってくれた。

 

 

 

 

どうしよう……

 

 

あたしは当てもなくロビーを行ったり来たりしてた。

 

 

受付のお姉さんが怪訝な顔であたしを見てる。

 

 

 

 

早く戻らなきゃ。

 

 

梶もきっと変に思う。

 

 

そんな風に思ってたら、

 

 

 

「ここのカラオケでいい?」

 

 

と男の声がして団体客が入ってきた。

 

 

 

 

その男の声に聞き覚えがあった。

 

 

 

 

 

 

あの保健医の声だった。

 

 

 

 

 

 

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「あ!お前」

 

 

あたしが逃げるより早く、保健医があたしを見つけるのが早かった。

 

 

あたしは回れ右をしようとしていた足を止め、保健医たち団体客に向き直った。

 

 

団体客は男女六人組。

 

 

合コンだろうか。妙に打ち解けてない様子から察した。

 

 

エロ保健医が合コン。何か言われたらこれをネタにしよう、なんて考えてると、

 

 

 

「あれ?鬼頭……」

 

 

六人の後ろのほうに隠れてたやつがひょっこり顔を出した。

 

 

 

 

何で……

 

 

 

何であんたがこんなところにいるんだよ。

 

 

 

飲み会って、合コンのことだったの……?

 

 

 

 

 

 

「お前。今何時だと思ってるんだ?」

 

 

保健医が大人ぶった口調であたしを咎める。

 

 

「なぁに?生徒さん?」女の一人が言った。長くて茶色い髪をちょっとゴージャスに巻いたケバくて派手な女だ。

 

 

何甘ったるい声出してんだよ。気持ち悪い。

 

 

 

「まぁまぁ、林先生」と現国の和田も一緒だ。

 

 

 

 

 

あたしの中はわけもわからない苛立ちで支配されていた。

 

 

 

 

 

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「合コンとはいいご身分ですね。自分たちはお楽しみなのに、あたしには早く帰れって言うんですか?」

 

 

嫌味たっぷりであたしは保健医を睨みつけてやった。

 

 

「クソガキが」

 

 

保健医があたしの腕を乱暴に掴む。

 

 

「ガキは早く家に帰って寝ろ!」

 

 

今にも殴られそうな剣幕だった。別に悪いことしてないのに。

 

 

そんなに合コンの現場を見られたのが嫌だったのか。

 

 

何か言い返そうと思ってった矢先、

 

 

 

 

「まこ!」

 

 

 

と神代の鋭い咎める声が聞こえた。

 

 

 

「あ?」

 

 

保健医があたしの腕を掴んだまま振り返る。

 

 

 

 

 

え―――?

 

 

 

今『まこ』って……。

 

 

 

 

 

聞き間違いじゃないよね。だって保健医も反応したし。

 

 

あたしは神代にそろりと視線を移動させると、神代は口に手を当て目を開いていた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、あんたって『まこ』って名前なの?」

 

 

あたしは保健医に問いかけた。

 

 

保健医は怪訝な顔して、眉間に皺を寄せると、

 

 

 

 

 

「俺様の名前に文句があんのか?

 

 

 

俺は林 誠人って立派な名前があんだよ」

 

 

 

 

ハヤシ マコト―――

 

 

 

 

 

ふうん…それで『まこ』ねぇ。

 

 

 

 

 

見 ツ ケ タ。

 

 

 

 

あたしは誰にも分からないようにひっそりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「鬼頭、あの……」

 

 

神代が何か言いかけた。

 

 

あたしはその声を遮って、

 

 

「帰るよ。帰ればいいんでしょ」と踵を返した。

 

 

そのまま、梶の待つ部屋へ行こうとした。

 

 

 

 

 

「鬼頭!」

 

 

 

後ろから声がしてあたしは振り返った。

 

 

狭い廊下に各部屋から歌声が洩れてる。そんな騒がしい中でも聞こえる大きな声だった。

 

 

神代が蒼白な顔色して走ってくる。

 

 

可哀想になるぐらいその顔は神妙だった。

 

 

「あの……さっきの……」

 

 

 

 

あたしはうんざりしたように腕を組むと、壁にもたれかかった。

 

 

 

 

「男が好きだったなんて知らなかったよ。だからあたしが好きっていってもだめだったわけだ」

 

 

すべて納得がいったという風にため息を吐く。実際、そうだ。あたしが神代のマンションに行った翌日、明良兄に教員名簿を入手して教員の名前をチェックしたけれど確かに『女の』教員の名前に『まこ』と言う名が付く女は存在しなかった。

 

 

だけどまさか男だったとは―――

 

 

考えても無かったから見落としてた。

 

 

神代は両手を軽くあげてあたしを制止しようという仕草をした。

 

 

「違う!」

 

 

 

「何が違うの?」

 

 

「勘違いしないでくれ。僕はゲイでも何でもない」

 

 

「ふぅん」あたしは目を細めた。

 

 

 

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男の神代が男の保健医を好きで、ゲイ以外なんていうの?

 

 

別にゲイに偏見持ってるわけじゃないけど。

 

 

 

あたしの考えが顔に出てたんだろうな。

 

 

神代は弁解するように、両手を上下させた。

 

 

「僕はまこが男だろうと女だろうと変わりないんだ。つまり彼という人間が好きで……」

 

 

 

 

「分かったよ。誰にも言わないから、今日はこれ以上勘弁して」

 

 

あたしはうんざりしたように手を振った。

 

 

 

 

 

何でかな……

 

 

 

これ以上は聞きたくなかったんだ。

 

 

 

いかに神代があいつを好きなんて……

 

 

 

神代は困ったように目を伏せた。

 

 

そんな顔しないでよ。

 

 

 

 

 

泣きたいのはあたしの方……

 

 

 

 

って、なんであたしこんなにも悲しいんだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、相手が男でやりやすくなった。これを逆手に取らないわけない。

 

 

 

 

 

あたしは黙って神代に背を向けた。

 

 

 

 

神代は追ってこなかった。

 

 

 

 

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