TENDRE POISON 

~優しい毒~

『陰謀、企み、そして恋心』

◆午前5時の後悔


 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

僕がロビーに戻ると、エマさんが心配そうに僕を覗き込できた。

 

 

「生徒さん大丈夫だった?」

 

 

「……うん。もう帰るって」

 

 

僕が沈んだ顔してたからかな、まこが

 

 

「担任でもないんだし、いい加減あいつの心配するのもやめろよ」

 

 

と言った。ちょっと呆れてる。

 

 

「部屋空いたよ~」とアミさんの声で僕たちはそろって顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

部屋に入っても、相変わらずまこは千夏さんにべったりだ。

 

 

いちゃいちゃしてるようには見えないけど、仕草や言葉遣いがいつものまこより数倍優しい。

 

 

こんな表情をするんだ。こんな仕草をするんだ。

 

 

 

まこの新しい一面をいくつも発見した。

 

 

 

 

「神代先生、ほらどんどん入れちゃって。僕らは入れたから~」と和田先生がデンモクを渡してくる。

 

 

僕の隣ではエマさんがドリンクのメニューを開いていた。

 

 

歌う気にもなれず、僕は何となくエマさんのメニュー表を見つめた。

 

 

 

 

 

「あ、何か飲む?」

 

 

エマさんが目だけをあげて控えめに聞いてくる。

 

 

「うん。じゃぁジントニックを。エマさんは」

 

 

「あたしも同じのを」と言って微笑んだ。

 

 

 

 

最初は鬼頭と似てると思ったけど、それほどでもないな。

 

 

鬼頭には……

 

 

目力がある。

 

 

 

大きな目でまっすぐにこちらを見つめてくる。決して逸らさない、力強い独特の視線。

 

 

 

 

 

 

鬼頭……

 

 

 

もう帰ったかな?

 

 

 

 

 

 

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―――

 

 

何時間経っただろう。

 

 

場は盛り上がっていた。

 

 

そして同じぐらい僕はアルコールで出来上がっていた。

 

 

まこと千夏さんの楽しそうな姿を見たくなかったから。

 

 

鬼頭のことを考えたくなかったから―――

 

 

だからひたすら酒を飲むことにした。

 

 

「水月くんは誰が好き?好きなアーティストの歌歌えたら歌うよ」

 

 

エマさんがはにかんだ笑顔でこちらを見てきた。

 

 

「僕は、は…」と言いかけて言葉を飲み込んだ。

 

 

浜崎あゆみは鬼頭と行ったときに歌ってもらう予定だ。

 

 

そんなこと、絶対にありえないのに……

 

 

 

 

 

 

頭がくらくらする。

 

 

一体何杯飲んだのだろう。

 

 

そう思ってたら、離れた席のまこがおもむろに立ち上がった。

 

 

「どうしたの?」

 

 

千夏さんが聞いてる。

 

 

「いや、ちょっとヤニ切れ。水月、付き合って?」

 

 

「タバコならここで吸えばいいじゃな~い」とアミさん。

 

 

彼女も少し酔っ払っているようだった。隣に腰掛けた和田先生にべったりと寄り添っているが、和田先生の方は少しだけ引き越し。

 

 

どうやら上手くいっているように見えたのは最初だけだったようだ。

 

 

「煙こもるし。女性陣の大切なコートや髪に匂いついたら悲しいし~」

 

 

まこはウインクして女の子たちを見た。キザに聞こえるがワザと冗談っぽく笑ってる。

 

 

「千夏の彼ってやさし~」

 

 

アミさんがはしゃいでいる。

 

 

僕は思わず耳を塞ぎたくなった。

 

 

「付き合うよ。僕も切れ掛かってた」

 

 

 

 

そんな会話を聞きたくなくて、僕は思わず立ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

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ロビーにはステンレス製の灰皿が設置されている。

 

 

待っている客はいなかった。

 

 

受付の従業員は暇そうにしている。

 

 

まこはタバコを取り出すと、

 

 

「水月、大丈夫か?」と聞いてきた。

 

 

僕はロビーのソファに背を深くもたれさせると、まこと同じようにタバコの箱を取り出した。

 

 

一本くわえて火をつける。

 

 

 

 

「……大丈夫」

 

 

煙と一緒にため息を吐きながら、僕は何とか答えた。

 

 

本当はちっとも大丈夫なんかじゃない。

 

 

頭はがんがんするし、視界は歪んでいる。

 

 

まっすぐ歩けるかどうか怪しいもんだ。

 

 

タバコも……ちっとも旨くない。

 

 

 

 

「なぁ、お前エマちゃんのことどう思う?」

 

 

ふいに聞かれ、僕はうつろな目でまこを見た。

 

 

「どうって、いい子だなって思うよ」

 

 

「それだけ?」

 

 

「他に何があるの?」

 

 

「彼女にしたいとか思わないわけ?」

 

 

 

何口めかのタバコを吸って、僕は乱暴に灰皿にタバコを押し付けた。

 

 

 

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「まだ分かんないよ。僕のことは放っておいてよ」

 

 

酒のせいかな?いつもより口調がきつくなるのは。溢れ出る苛立ちは隠そうと思っても上手く隠せない。

 

 

こんな風に言いたいわけじゃないのに。

 

 

 

 

 

ふいにまこが僕の頬に指を触れた。

 

 

ドキリと心臓が大きな音を立てる。

 

 

「お前……本当に大丈夫か?一体何杯飲んだ?」

 

 

アルコールとまこの指のせいで、心臓がいつもよりずっと早く強く波打つ。

 

 

 

 

ドキン……!ドキン……!

 

 

 

 

「まこ……僕は君が……」

 

 

 

 

「水月くん!」

 

 

僕の声は一つの声でかき消された。

 

 

 

 

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僕が顔を上げると、廊下の端にエマさんが立ってるのが見えた。

 

 

ひどく心配そうだ。

 

 

彼女の顔を見て僕は我にかえった。

 

 

 

 

僕は……

 

 

 

何を言おうとした?

 

 

 

 

「エマちゃん、どうした?」

 

 

まこが優しく問いかける。

 

 

「あたしは……ちょっと水月くんが心配だったから……具合悪いの?お酒に酔った?」

 

 

 

「だいじょう…」と言いかけたところで、まこの声が被さった。

 

 

「こいつ酔ったみたいでさ。帰らせるわ。エマちゃん一緒についててやってくれない?」

 

 

 

 

「え?……うん。もちろん!」

 

 

エマさんは勢い込んだ。

 

 

「ちょっ。まこ!」

 

 

「俺らは残りのメンバーで楽しくやってるから、気を使うなよ。それより水月、エマちゃんをちゃんと送り届けろよ」

 

 

まこがそっと耳打ちしてくる。

 

 

 

まこは強引だ。

 

 

僕たちをくっつけようとしているのが、まざまざとわかる。

 

 

 

 

でも……これ以上まこと千夏さんが二人でいるのを見たくなかったら、ちょうど良かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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そういうわけで、僕とエマさんは二人で抜けることになった。

 

 

他のメンバーたちから散々ひやかされたが、酒で気持ち悪い僕は全てがどうでも良かった。

 

 

カラオケを出て、僕たちはすぐにタクシーを拾うことにした。

 

 

夜も更けてるのに、大きい道路は車のテールランプが輝かしいほどだ。

 

 

酒でほてった体に外の冷気が気持ちいい。

 

 

 

「うちどこ?送っていくよ」

 

 

「え?いいです。さきに水月くんの家に行こう。あたしはどうにでもなるから」

 

 

かっこ悪いな……エマさんにも気を使わせて。

 

 

 

 

「そんなわけには」

 

 

「あ、あたしが心配なの。水月くんのことが…」

 

 

エマさんの真剣な目が僕を捕らえる。

 

 

黒い瞳が、鬼頭のそれと少し似ていた。

 

 

熱っぽい視線が似ていた。

 

 

 

 

 

鬼頭……

 

 

 

 

僕はエマさんの手を取ると、彼女を引き寄せ抱きしめた。

 

 

 

彼女からは、スイーツのような甘い香りがした。

 

 

 

 

 

 

だけど僕は鬼頭のあのタンドゥルプアゾンの香りが今でも忘れられない。

 

 

 

エマさんは鬼頭じゃない。

 

 

 

だけど似てる。

 

 

 

 

 

そう、似ていたんだ。

 

 

 

 

僕は強引にエマさんの唇を奪っていた。

 

 

 

鬼頭とのキスを思い出して……

 

 

 

 

 

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―――――

 

―――

 

 

浅い眠りが続いて、僕は何度も寝返りを打った。

 

 

何度目かの身じろぎで、うっすらと目を開けると目の前に鬼頭が眠っていた。

 

 

 

 

鬼頭……!!

 

 

 

 

じゃなかった。

 

 

昨日の合コンで知り合ったエマさんだ。

 

 

ほっとするのもつかの間、

 

 

 

僕はがばっと起き上がった。

 

 

見覚えのある部屋。僕の部屋だ。

 

 

 

確かめるまでもなく、僕は服を何も身に着けていなかった。

 

 

もちろんエマさんも。

 

 

 

 

 

やってしまった……

 

 

文字通り。

 

 

 

 

 

 

僕は思わず頭を抱えた。

 

 

窓の外を見るとまだ暗い。

 

 

枕元に置いたケータイを見ると、午前5時を指していた。

 

 

どうりで暗い筈だ。

 

 

 

僕は脱ぎ散らかしたスーツのズボンだけを履くと、そろりとベッドから抜け出した。

 

 

 

 

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落ち着け水月。落ち着け……

 

 

必死に自分に言い聞かせながら、タバコを口に含んだ。

 

 

だけどちっとも落ち着かない。

 

 

頭がくらくらして重いのは二日酔いだけのせいじゃない。

 

 

ソファの隅で丸くなって眠っていたゆずが耳がぴくりと動かして、こちらに走ってきた。

 

 

甘えるように僕の足首に擦り寄ってきて、僕はゆずを抱き上げ、ソファに腰をかける。

 

 

 

 

 

こんなこと初めてだ。

 

 

出会ったその日に寝るなんて……

 

 

 

でもこれは消しようのない事実で。

 

 

僕は今猛烈に後悔している。

 

 

こんなこと、まこにも言えない。

 

 

 

言ったら軽蔑されるに違いない。

 

 

 

 

 

 

もちろん鬼頭にも……

 

 

 

 

 

 

 

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「起きてたの?」

 

 

背後から声がして、僕は振り返った。

 

 

僕の白いシャツだけを着たエマさんが立っていた。

 

 

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

 

 

僕がタバコを灰皿で消すと、エマさんが顔を赤くして僕の隣におずおずと座った。

 

 

ゆずが警戒したようにさっと飛び上がり、ソファの下にもぐる。

 

 

どうやらゆずはエマさんのことがまだ恐い様だ。

 

 

鬼頭にはあんなに懐いていたのに。

 

 

 

 

 

「あの……あたし、こんなこと初めてで。その……会ってすぐってのは」

 

 

エマさんは言いにくそうに口の中でもごもごと呟いた。

 

 

「うん……」僕はエマさんの言葉に頷いた。

 

 

見ていれば分かる。そんな軽い女の人じゃないことぐらい。

 

 

 

 

 

「ねえ……このまま今日でさよならなの?」

 

 

消え入りそうな声でエマさんが呟いた。俯いているから表情が良く分からいけれど、口調は暗かった。

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

僕は答えられずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

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僕は最低な男だ。

 

 

昨夜のことはだいぶ酔っていたとは言えはっきり覚えてる。

 

 

 

僕はエマさんを抱いたんじゃない。

 

 

彼女の中に鬼頭を見ていた。

 

 

 

鬼頭を……

 

 

 

抱いていた。

 

 

 

いっそのこと泥酔して何もかも覚えてないほうが良かった。

 

 

 

でも記憶の中のエマさんは……いや、鬼頭の感触は僕の中にはっきりと残っている。

 

 

 

 

でも鬼頭じゃない。

 

 

 

 

 

僕は何を考えているんだ。

 

 

僕が好きなのはまこなのに。

 

 

 

 

心の中であんなにも鬼頭を欲している。

 

 

 

 

僕の中には醜い獣がいた。

 

 

 

 

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