TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午前6時の目覚め


 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

午前6時―――

 

 

あたしはケータイのアラームで目覚めた。

 

 

寝不足で頭が重い。白い天井が眩しいぐらいだ。

 

 

ベッドに入ったのは明け方の4時。ほとんど寝てない。

 

 

ずっと神代とあの保健医のことを考えてたから。

 

 

 

 

神代が誰を好きでもかまわない。

 

 

あたしはそいつを利用して神代を傷つける。

 

 

ずっと考えてたのに……

 

 

昨日は考えが全くといっていいほど浮かばなかった。

 

 

 

 

 

神代……ひどく慌ててた―――

 

 

それもそうか。

 

 

好きな相手が男だもんね。

 

 

 

 

 

だから乃亜姉のことを捨てて、あたしを振ったんだ。

 

 

そう思うと胃の中がムカムカと熱くなってきた。

 

 

 

 

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―――――

 

―――

 

 

学校へ着くと、教室で女子たちが固まってなにやら騒いでた。

 

 

「あ、鬼頭さんおはよ~。鬼頭さんも投票しない?」

 

 

クラスの女子、斉藤さんが一枚の紙を持って近づいてきた。

 

 

あたしは普段梶以外のクラスメイトとあまり会話をしないから、斉藤さんはわざとらしいぐらい明るい口調だった。

 

 

どこか恐る恐るという感情が見え隠れしている。

 

 

「投票?生徒会選挙でもあるの?」

 

 

あたしが聞くと、斉藤さんは「キャハハ」とわざとらしく明るい笑い声をあげた。

 

 

「違うよ~。毎年この時期にあるんだって。学内イケメンコンテスト♪ていっても女子だけが投票して順位を決めるんだけどね~」

 

 

イケメンコンテストって……みんな暇なんだな。

 

 

くだらない。

 

 

「ちなみに去年の3位は三年の楠先輩だって」

 

 

明良兄が…?まぁ、ワルっぽいけど確かにかっこいいもんね。

 

 

「あたしは今年こそ楠先輩に一位になってほしいな」と、斉藤さんの後ろから井出さんが顔を出した。

 

 

「あたしはやっぱり保健室の先生♪去年は2位だったんだよ」と斉藤さん。

 

 

へぇ、あのエロ保健医がねぇ。どこがかっこいいんだか…あたしにはさっぱり理解できないよ。

 

 

あたしのそんな考えを読んだのか斉藤さんは続ける。

 

 

「あのワイルドな大人の魅力?みたいな。それがいいのよねぇ」

 

 

女子たちはキャアキャア騒いでる。

 

 

 

 

「で、一位は?」

 

 

あたしは興味本位で聞いてみた。

 

 

 

 

 

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「一位はダントツで神代先生!」

 

 

斉藤さんは人差し指を立てた。

 

 

 

 

神代……?

 

 

 

 

「あのぼ~としてる天然っぽいところに加えて、笑顔が超可愛い!ちょっと童顔だけど、そこがまたそそられるっていうか、母性本能をくすぐられるっていうか。

 

 

おまけに優しいし!」

 

 

キャ~と女の子たちが騒いでる。

 

 

 

 

確かに整ってはいるけど……

 

 

いや、かっこいいのか?

 

 

 

あたしは心の中でもやもやしたものを感じた。

 

 

それは掴みどころのない感情なのに、鉛のようにずっしりと重い。

 

 

 

 

神代……人気あるんだ……

 

 

 

「でも、今年は大穴がいるよ」

 

 

井出さんが真剣な目であたしを見た。

 

 

「大穴?」

 

 

 

 

「そ。うちのクラスの梶田 優輝。ひそかに二年、三年のお姉さま方の間でファンクラブがあるとかどうとか」

 

 

梶が?知らなかった。あいつそんなに人気があるんだ。

 

 

 

ぼんやりと考えてあたしははっとなった。

 

 

 

 

あたし!梶にまだ返事してないや。

 

 

 

 

 

 

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「うぃ~っす」

 

 

そんなこと考えてたら、教室の入り口付近で梶の声が聞こえた。

 

 

あたしの肩がびくりと震えた。

 

 

そろりと顔を向けると、露骨に梶と目が合っちゃった。

 

 

昨日は保健医と神代にカラオケボックスで見つかって、「先生来てるから帰ろ。担任にチクられたら面倒」と言って慌てて帰っちゃったから、梶の告白に返事を返す余裕なんてなかったし、「マジで!」と梶の方も焦っていてそれどこらろじゃない、って感じだったし。

 

 

まぁあたしと梶って言う組み合わせって最悪に悪いよね。あたしは大丈夫だけど梶にはホゴシャが居るわけだし。

 

 

 

 

梶は自分の机に鞄を乱暴に放り投げると、

 

 

「うっす!」と手を挙げてにっと白い歯をのぞかせて笑った。

 

 

「…お…はよ」

 

 

あたしが曖昧に返事を返したら梶は照れくさそうに顔を赤くして俯いた。

 

 

「……あのさっ、昨日の……」

 

 

「あ……、昨日のね。あたし…」

 

 

「や!返事は焦らんないからさっ!ゆっくり考えてよ」梶が手を上げて制した。

 

 

「……うん」

 

 

 

 

梶が行ってしまってから、まだあたしの周りにいた斉藤さんたちがわっと集まってきた。

 

 

「昨日って、何があったの!?」

 

 

「何も……」

 

 

「何もないってことないでしょ!返事ってどういう意味!?」

 

 

斉藤さんたちが目の色を変えて集まってくる。

 

 

何だよ、さっきは恐る恐るって感じたったのに、今は興味津々だ。

 

 

 

 

 

うざい。

 

 

だったら何なの。

 

 

 

 

あたしは鞄を乱暴に机に置いて斉藤さんたちを睨んだ。

 

 

 

 

 

 

「関係ないでしょ?」

 

 

 

思わず口についていた。

 

 

 

 

 

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斉藤さんたちが息を呑んでたじろいだのがわかった。

 

 

「…な、なによ!ちょっと気になっただけでしょ?」

 

 

「そうよ、そうよ」

 

 

周りの女子たちも騒ぎ出す。

 

 

梶を含めた男子たちも何事か、こちらを向いている。

 

 

あたしは斉藤さんたちに一瞥した。

 

 

「なによ」

 

 

捨て台詞を吐いて斉藤さんたちは去っていった。

 

 

 

 

 

これだから女子っていや。よってたかって一人を攻撃するんだから。

 

 

気の弱い乃亜姉も外見が可愛いってだけでよく苛められてたなぁ。

 

 

そんでもってあたしみたいに神経が太くないからよく泣かされてた。

 

 

その度に明良兄が飛んできたっけ。

 

 

 

 

 

今は……苛められる心配もない……ね。

 

 

 

それだけがほんの少しの救いだよ。

 

 

 

 

はぁ。

 

 

あたしはため息を吐いた。

 

 

別に女子の嫌味なんて気にしてないけどね。

 

 

先行きに暗雲が立ち込めてる。

 

 

 

 

 

しかも一時限目は神代の授業だ。

 

 

 

 

 

 

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―――

 

――

 

 

鐘が鳴って現れた神代は若干顔色が悪かった。

 

 

しかもいつもはノーネクタイなのに、今日はワイン色の上品なネクタイをしている。

 

 

「先生~、今日はネクタイしてるんすね。何かあるんすか?」

 

 

目ざとい男子の一人が聞いた。

 

 

「あ~ホントだ。珍しいけど、ネクタイ姿もかっこいい♪先生、それ解いて~」

 

 

女子の一人が冗談とも本気ともつかない笑い声を上げた。

 

 

そんな冗談みたいな軽口を神代はさらりと流して…ってか頭に入ってないのだろうか。

 

 

「これは…自分を戒める為にであって……」

 

 

と、口の中でブツブツ。

 

 

「戒めるって何かやらかしたんですか?」ケラケラと男子たちが笑ってる。

 

 

ホントに。何やらかしたんだよ。

 

 

あたしは頬杖をついて心の中で突っ込んだ。

 

 

 

 

 

神代は、不思議と男子からも人気がある。

 

 

なんでだろ?

 

 

だってああ見えて結構ドジだし、天然だし、鈍感だし……

 

 

 

 

 

あ、あたしこう考えるとみんなが知らない神代を結構知ってるかも。

 

 

それが単純に嬉しいのか、それとも神代を陥れるための情報でしかないのか、

 

 

 

まだあたしには分からない。

 

 

そんなことを考えてるうちに授業は始まった。

 

 

 

 

 

「x3+64今の公式を因数分解して」

 

 

カリカリと鉛筆の走る音がする。

 

 

「……う。鬼頭!」

 

 

呼ばれてあたしは顔をあげた。

 

 

目の前に教科書を手にした神代が立っていた。

 

 

近くに来ると益々分かる、顔色の悪さが。

 

 

 

「僕の話聞いてた?」

 

 

「聞いてましたよ」

 

 

 

 

 

 

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「(x+4)(x2−4x+16)です」

 

 

あたしがスラスラ答えると、方々で

 

 

「おぉ」と声があがった。梶も目を丸めてこっちを見てる。

 

 

「君は真面目なのか不真面目なのかよく分からないね」

 

 

神代はふぅと小さくため息をつく。

 

 

なんだろう。何だかすごく疲れてる。

 

 

無理もないか。昨日あんな場面見られたんだから。ホントならあたしの顔を見たくないじゃない?

 

 

だけど……

 

 

神代は教科書でポンとあたしの頭を軽く叩くと、

「鬼頭は昼休み準備室」

 

 

と短く言った。

 

 

ちょっとびっくりした。

 

 

正直、昨日の今日だから避けられるかと思ってたから。

 

 

 

 

周りからひそひそと話し声が漏れる。特に女子の低めた声が聞こえてきた。内容まで聞き取れないけど。

 

 

何だろう、嫌な感じ。あたしは顔を歪めた。

 

 

でも、別に誰に何言われても平気。

 

 

 

あたしは平然とした態度で教科書のページをめくった。

 

 

 

 

―――昼休み

 

 

お弁当を持って席を立ったあたしを梶が呼び止めた。

 

 

「おい!神代のところに行くのかよ」

 

 

「そうだけど?」

 

 

あたしはいぶかしげに梶を見上げた。

 

 

「お前、噂になってんぞ。鬼頭と神代がデキてるって」

 

 

「あたしと神代が?ないないっ」

 

 

あたしはちょっと笑って手を振ったけれど梶は真剣だ。強い力であたしの腕を掴む。

 

 

教室中のクラスメイトがあたしを見てひそひそ話してる。

 

 

 

 

ふぅん。噂になってるってことはホントなんだ。

 

 

 

それはそれで好都合だけどね。

 

 

 

 

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でも……

 

 

「単なる噂でしょ?あたしとあいつとは何もないって」

 

 

今はまだその時期じゃない。

 

 

あたしは再度否定した。

 

 

この否定もどこまで通じるやら……

 

 

梶はぎゅっと眉を寄せて、あたしの腕から手を離した。

 

 

 

 

「……じゃぁ俺も行く」

 

 

「へ?」

 

 

「俺も行ったっていいだろ?準備室」

 

 

あたしは目を細めた。

 

 

心配なのは分かる。確かめたい気持ちも分かる。でも、ここは一人でいかないと話せる話もできないじゃん。

 

 

あたしが俯いて親指の爪を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

「わ、悪かった…疑ったりして」

 

 

急に梶の声が和らいだ。

 

 

え?

 

 

あたしが顔を上げる。

 

 

「ごめん、お前のこと俺疑ってた。お前は俺に嘘つかないのに」

 

 

「別に、いいよ。疑われるような行動してるあたしが悪いんだし」

 

 

それだけ言うとあたしは梶に背を向けた。

 

 

ごめん梶。今はまだ事情を話せないの。

 

 

いつか……全部片付いたら全てを話すから。

 

 

それまで待ってて。

 

 

 

 

梶が、あたしの背中をいつまでもじっと見つめていたのがわかったけど、あたしは気付かない振りをした。

 

 

 

 

 

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準備室の小部屋をノックすると、

 

 

「どうぞ」と中から控えめな神代の声が返ってきた。

 

 

「失礼します」

 

 

入ると、机で神代は一人コーヒーを飲んでた。傍らにはいつか見たノートパソコンがあった。

 

 

そう言えばマイピクチャに保健医とのツーショットが入ってたね。

 

 

あれは単なる思い出の一枚じゃなくて、神代にとって大切な大切な一枚だったんだね。

 

 

 

「お弁当、もって来ちゃった。ここで食べてい?」

 

 

そう聞くと、神代はちょっと笑顔を浮かべて頷いた。

 

 

あたしは神代の向かい側の席に落ち着く。

 

 

 

 

お弁当を広げていると、

 

 

「昨日の……」と神代のほうから切り出してきた。

 

 

あたしが顔を上げると、神代は切なげに眉を寄せてあたしのほうをじっと見ていた。

 

 

 

 

 

一瞬、ドキリとした。

 

 

そんな顔しないでよ。

 

 

あたしの口から洩れそうになった一言。

 

 

あたしはその一言を飲み込んだ。

 

 

 

「……言ったでしょ。誰にも言わないって」

 

 

「……うん。君を信用してないとかそんなことじゃないんだ……。ただ…」

 

 

神代が口ごもったので、あたしはその先を促した。

 

 

「ただ?」

 

 

「僕の気持ちは軽い気持ちなんかじゃない。真剣なんだ。真剣に彼を好きなんだ」

 

 

 

 

神代の目はまっすぐで淀みなく、間違ったことを言っているのに堂々としていて、あたしはそれが少し羨ましかった。

 

 

 

神代の中にはそれほど強い信念があることが…羨ましかった。

 

 

 

でもそれと同時に神代はあたしでもなく、乃亜姉でもない人を選んだことが寂しかった。

 

 

でも……

 

 

間違ってるなんて誰が言える?

 

 

 

 

別に誰が誰を好きでもかまわないじゃない。

 

 

 

 

 

むしろ間違ってるのは―――あたしの方……

 

 

 

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「分かったよ。先生があの保健医を好きな気持ちは理解できた。それを言う為わざわざ呼び出したっていうの?」

 

 

あたしの言葉に神代はちょっと瞬きをして、すぐに顔を伏せた。

 

 

「……うん、ごめん」

 

 

「別に。……あたし、気持ち悪いとか思わないから、頑張ってね」

 

 

 

ホントにがんばって。

 

 

あんたが頑張れば頑張るほど、あんたは泥沼にはまっていく。

 

 

あたしがはめるんだから。

 

 

 

 

 

そう心の中で言ってお弁当の蓋を開ける。

 

 

今日は昨日の残りのから揚げと卵焼き、ひじきの煮つけと枝豆だった。

 

 

 

神代はどこかしらほっとしたように胸を撫で下ろすと、

 

 

「おいしそうだね」とあたしのお弁当を覗き込んだ。

 

 

「自分で作ってくるの?」

 

 

「他に誰もいないからね」そっけなくあたしは卵焼きを口に入れた。

 

 

 

塩入れすぎたかな?ちょっと辛い。

 

 

そんなことを考えてると、神代の視線を感じてあたしは手を止めた。

 

 

「なに?欲しいの?」

 

 

「いや!」神代が慌てて手を振る。

 

 

 

「先生は毎日学食?この前ラーメン食べてるの見た」

 

 

保健医と肩を並べて食べてたっけ。

 

 

そのときは単なる仲良しだと思ってたけど。

 

 

「僕はほとんど学食。料理苦手だから」神代は苦笑い。

 

 

「今日は?コーヒーだけ?」

 

 

「うん。二日酔いで食欲ないんだ」

 

 

神代は少し辛そうに俯いた。

 

 

なんだ……

 

 

顔色の悪さは二日酔いのせいだったんだ。

 

 

 

あたしは我知らずほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

 

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「ふぅん。じゃあ保健室に行けば?口実になるじゃん」

 

 

あたしはちょっと笑った。

 

 

神代が目に見えて赤くなる。ちょっと慌てている様でもあった。

 

 

「大丈夫。かっこ悪いから」

 

 

「ふぅん、そんなもん?あたしだったら何としてでも口実を作って会いにいっちゃうけど」

 

 

「鬼頭ぐらい行動力あったらなぁ。白紙の答案用紙にはびっくりさせられたけど」

 

 

神代は軽く笑って頭をかいた。

 

 

あたしもちょっと笑った。

 

 

 

―――そう、あたしは何としてでも乃亜姉の仇をとる。どんな手を使ってでも。

 

 

 

「鬼頭は強いな」

 

 

ふいに神代が口にした。

 

 

なにを差して強いって言ってるんだろう。

 

 

あたしが告ったのに、ライバルとうまくいくよう応援してるってとこ?

 

 

だったら最初からお門違いだよ。

 

 

「別に……強くなんてないよ」

 

 

ただ、ちょっとだけ執念深いだけ。

 

 

あたしはそんな考えを吹き飛ばすように、たまご焼きをわざと神代の前に突き出した。

 

 

神代は面食らったように目をパチパチさせてる。

 

 

「ちょっとは食べたほうがいいよ。ほら、あ~ん」

 

 

「いや、ありがたいけど」

 

 

神代はかっこわるいぐらい慌てふためいてる。

 

 

「文句を言わずにさっさと口を開ける」

 

 

あたしが急かすと、神代は形のいい口を開いた。

 

 

たまご焼きを口に入れるともぐもぐと口を動かせて、ちょっとはにかんだように笑った。

 

 

「おいしい。鬼頭いいお嫁さんになれるよ」

 

 

 

 

ドキン……

 

 

前にも聞いたセリフ。

 

 

そうだ、明良兄だった。

 

 

でも明良兄に言われるよりずっと心に響く……

 

 

 

心臓がキュッとなってドキドキが止まらないのは何故?

 

 

 

あたし変だ。

 

 

どうやって神代を陥れようと復讐を考えてる一方で、神代の一挙一動に心臓が揺れてる。

 

 

あたし……どうしたんだろ?

 

 

 

 

そんなことをぼんやり考えてると、ピカッて何かが光った。

 

 

入口の方だ。

 

 

 

でも人の気配はしない。

 

 

なんだろ?気のせいかな?

 

 

 

 

 

 

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