TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午前7時の悪夢


 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

鬼頭と別れて僕が職員室に戻ったのは、昼休みが残り10分と言うところだった。

 

 

「神代先生!」

 

 

昨日合コンに一緒に行った和田先生に呼び止められた。

 

 

一枚の紙を手にしてひらつかせている。

 

 

「神代先生も投票しませんか?ミスコン」

 

 

「ミスコン?」

 

 

「ええ、生徒たちの間で流行ってるんですって。誰でも参加できるらしいですよ」

 

 

ミスコンかぁ。そんなことが流行ってるんだなぁ。大学時代を思い出す。そんなに遠い昔のことではないのに、酷く懐かしい。僕が在学中のミスコンに選ばれた女の子はモデルのようにきれいでスタイルが良く、その後その美貌を生かしてCAになったとか噂がある。

 

 

「ちなみに去年の優勝者は楠 乃亜っていう生徒らしいです」

 

 

 

ぎくりとした。

 

 

和田先生は今年赴任してきたばかりだから知らないんだな。

 

 

他意はないんだ、きっと。

 

 

「……今年は誰が優勝するのかなぁ」なんてぼそりと呟いたら、

 

 

「断トツで鬼頭 雅でしょ~」

 

 

とこれまた悪意のカケラも感じられない言葉が返ってきた。

 

 

僕の心臓がまた飛び跳ねる。

 

 

 

「ちなみに女子の間ではイケメンコンテストっつ~のもやってるらしいぜ」

 

 

 

 

背後からニュッと現れたまこの登場に今度こそ僕の心臓が止まるかと思った。

 

 

 

 

 

 

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昨日カラオケで別れたきり、まこと話すのはこれが初めてだ。

 

 

エマさんとあの後どうなったのかまこには聞いてきてない。

 

 

こちらとしてもどうなったのか言えるわけない。

 

 

「イ、イケメンコンテスト?」

 

 

僕の声が変な風に裏返った。わざとらしく聞くと

 

 

「去年の優勝はお前だ。お・ま・え」

 

 

まこは人差し指で僕の額をつつく。

 

 

 

 

顔が赤くなるのを隠すため僕はふぃっと顔を逸らした。別にイケメンコンテストで優勝したから嬉しい、とかじゃなく。正直そのコンテスト自体には興味がない。

 

 

「まさか…それ何かの間違いだよ」

 

 

「お前はもっと自覚もてよ。ちなみに俺は2位。何でこの俺様がお前に負けるんだよ」

 

 

まこは唇を尖らせている。

 

 

「いいじゃないですかぁ。僕なんてきっと10位以内にも入らないですよ」

 

 

と和田先生が頭をかいて乾いた笑いをあげた。

 

 

僕は正直1位になろうが、10位以内にも入らないだろうがはっきりいって興味がない。

 

 

 

でも……

 

 

鬼頭はやっぱり人気があるんだな。

 

 

 

黙っていれば可愛いしな。頭はいいし。

 

 

いや、僕にとっては黙っていなくても可愛いのは変わりないが……

 

 

 

ミスコンの紙を握りしめながら、そんなことをぼんやりと考えていると、

 

 

「水月、ちょっと付き合えよ」と、まこがタバコの箱を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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時間は残り5分だった。

 

 

ちょうどタバコ一本吸えるぐらいの時間だ。

 

 

職員室の隅にある喫煙室に移動すると、タバコを口にくわえ、まこがいきなり僕の肩に腕を回してきた。

 

 

場違いにも、僕の心臓がドキリと高鳴る。

 

 

 

 

「昨日、エマちゃんと何かあった?」耳元で囁かれて、僕の背中にぞくりと震えが走る。

 

 

「き、昨日?」みっともないぐらい僕の声が震えた。これじゃ何かあったか白状してるようなものじゃないか。

 

 

「そ。お前エマちゃんを送っていっただろ?何にもなかったのか?」

 

 

探るような視線が上下左右する。

 

 

切れ長の瞳に見つめられて、僕の心臓が悲鳴をあげそうだった。

 

 

 

 

僕は、まこの腕を引き剥がすと、

 

 

「何もないって」と

 

 

嘘をついた。

 

 

「そぉかぁ?」

 

 

でもまこは信じていない様子。

 

 

 

 

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「信じてよ」僕は、まこの目をじっと見つめた。

 

 

「信じるよ。お似合いだと思ったんだけどなぁ。お前とエマちゃん」

 

 

まこはあっさり引き下がった。こっちが拍子抜けするぐらい。

 

 

頭の後ろで手を組んで、のんびりタバコを吹かしている。

 

 

 

 

そのことでまこに相談したかったこともある。

 

 

実のところ、エマさんには「付き合って欲しい」と言われていたのだ。

 

 

 

 

―――今日家を出るとき、

 

 

ドアに鍵をかけていると、エマさんがもじもじと俯いて、

 

 

「や、やっぱりこ…このままあたしたちって終わりなの?」と聞かれた。

 

 

「え?」

 

 

「……水月くんはさっき答えてくれなかったけど、あたしはいやだな。水月くんに重いって思われるのいやだけど、ホントは最初に見たときから一目ぼれだったの。

 

 

一晩だけならいいや!ってあたしもノリでそんなことしちゃったけど、やっぱりこのまま終わるなんていや…」

 

 

最後の方は掠れるような小さなしぼんだ声だった。

 

 

 

 

「会ったその日に寝ちゃう女ってやっぱり軽いかな?」

 

 

エマさんが顔を真っ赤にして僕を見上げた。

 

 

「い、いや。僕の方こそ軽率なことしたって思ってるよ」

 

 

そして僕はずるい。

 

 

エマさんが何を望んでいるのか分かってるのに、彼女の望みを叶えて上げられない。

 

 

 

 

「また連絡するよ」

 

 

曖昧な言葉でごまかして。

 

 

 

 

僕は最低だ。

 

 

 

 

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「僕も子供じゃないんだし、気に入ったら自分で何とかするし」

 

 

僕は、まこの唇に挟まったタバコを取り上げた。

 

 

鐘が鳴ってる。

 

 

「授業だ。行かなきゃ」

 

 

 

 

 

―――――

 

―――

 

 

その日の晩、僕は夢を見た。

 

 

まこの夢でもなく、エマさんの夢でもない。

 

 

 

 

鬼頭の夢だった。

 

 

 

 

 

「せんせい」

 

 

彼女は優しく微笑みながら僕を手招きしてた。

 

 

黒いキャミワンピは彼女の白い肌をより一層引き立てているようで、よく似合っていた。

 

 

僕は鬼頭の私服姿なんて見たことないのに……

 

 

でも、とてもリアルだったんだ。

 

 

 

 

「先生……」

 

 

僕は彼女に一歩近づいた。

 

 

 

 

 

「先生、大好きだよ」

 

 

微笑みながら、僕は一歩近づいた。

 

 

 

鬼頭の口から聞く「好き」って言葉、

 

 

 

僕はすごく好きだ。

 

 

たとえそれが彼女の勘違いであったとしても、誰かに愛されるてることを実感できるから。

 

 

 

 

 

 

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「先生…」

 

 

近づくと鬼頭の姿は形を変え、楠 乃亜の姿に変わった。

 

 

「く、楠!」

 

 

楠は笑っていた。鬼頭の笑顔によく似ている綺麗な笑顔。

 

 

 

だけど、

 

 

 

「ウラギリモノ」

 

 

楠は眉間に皺を寄せるとそう言って唇を歪めた。

 

 

「くすの……」

 

 

一歩近づくと、楠の姿が真っ赤に染まった。

 

 

それは見覚えのある……

 

 

 

 

血の色だった。

 

 

 

 

 

「楠―――!!」

 

 

自分の声で僕は目覚めた。

 

 

はっとなって慌てて辺りを見渡すと、そこは見慣れたはずのリビングだった。

 

 

ゆずがきゃんきゃん吠えてる。

 

 

僕はゆずを抱き上げると、

 

 

「ごめんね、びっくりしたね」と頭を撫でて宥めた。

 

 

そうだ、昨日はソファで眠ってしまったんだ。

 

 

ソファで眠るつもりなんてなかったけど、何となく寝室のベッドで寝る気になれなかったんだ。

 

 

 

 

だからあんな悪夢を……?

 

 

そう、あれは間違いなく悪夢だ。

 

 

 

 

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学校へ行く前に僕は楠のお見舞いに行くことにした。

 

 

早い時間だと、楠の知人に出くわすことがないから気が楽なんだ。

 

 

そんなことを考える僕はやっぱり卑怯なのだろうか。

 

 

思い出したように楠の見舞いに来たのだって、彼女を夢を見たからで深い意味はない。

 

 

 

 

 

病院の一階では場所が場所だけに花屋が早い時間から営業している。

 

 

僕はその花屋でチューリップを買った。

 

 

元気な頃の楠は肌が白くて可憐なイメージだった。そんな楠のイメージにぴったりだ。

 

 

楠の眠ってる個室の病室に行くと、相変わらず彼女は白い顔をして目を閉じていた。

 

 

元来が色白なのに、さらに病的な青白さを浮かべている。

 

 

 

楠に会うのは1ヶ月ぶりぐらいだ。

 

 

相変わらず頬は青白く、可哀想になるぐらい頬がこけている。

 

 

 

 

楠の両手は布団から出ていて、その左手首には痛々しい真一文字の傷跡があった。

 

 

そっと手に触れてみるとひやりとした感触を感じた。

 

 

「久しぶりだね。見舞いに来れなくてごめんね」

 

 

僕は彼女の青白い顔に語りかけた。

 

 

当然ながら返事はない。

 

 

 

ぐるりと病室を見渡す。

 

 

チューリップを入れられる花瓶はないかな?

 

 

ベッドのサイドテーブルには水差しと、体温計があるだけ。

 

 

引き出しはあったけど、タオルやらパジャマやらが詰め込んであった。

 

 

 

女の子のこんな私物を勝手に覗いていいわけない。

 

 

僕は慌てて引き出しをしまった。

 

 

壁に目をやると淡いピンク色の総レースのワンピースがかけてあった。

 

 

 

 

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元気だったらこれを着て遊びにでも行ってたのかな?

 

 

そんなことを考える。

 

 

元気だったら、普通の高校二年生として勉強にスポーツに―――恋に一生懸命だったはずだ。

 

 

それを考えると、やりきれなかった。

 

 

 

 

 

結局通り過ぎた女性看護士さんをつかまえて、僕は牛乳の空き瓶をもらうことにした。

 

 

チューリップの束を空き瓶に入れると、僕は楠の病室を後にした。

 

 

 

 

――――

 

 

学校に着くと、職員室が何やら賑やかだった。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

僕は、まこ以外に一番仲がいい和田先生を捕まえると聞いた。

 

 

「先生!これって本当なんですか?」

 

 

和田先生は勢い込んだ。その剣幕に押され僕は思わず一歩後退する。

 

 

「これって?」

 

 

「見てくださいよ」そう言って先生たちで束になっている群れを掻き分けた。

 

 

その先には一台のノートパソコンがある。

 

 

パソコンは学内のホームページが開かれていた。

 

 

学校の新聞部が開設しているホームページで学校の出来事を面白おかしくゴシップ調に書き立ててあるから、生徒たちには結構な人気だ。だが記事の半数が根も葉もない噂だったり裏の取れていない出まかせだったり......面白がる生徒が居る反面、迷惑を被っている生徒や教師も居るのが事実だ。

 

 

書かれた方は誇張しすぎた記事を迷惑だと思って恨んでいる人間もいるに違いない。

 

 

そのホームページに自分が載っているなんてこのときまでは夢にも思わなかった。

 

 

 

ホームページの一面に、僕の写真が載せられている。

 

 

鬼頭も一緒だ。

 

 

 

鬼頭が僕に卵焼きを食べさせるシーンがドアップで映し出されていた。

 

 

見出しに、

 

 

『禁断の恋!イケメン数学教師と秀才美少女』

 

 

と大げさに赤字で書かれていた。

 

 

 

 

これ―――!?

 

 

昨日の!!

 

 

 

 

 

 

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