TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午後10時の共犯者


 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

嘘!

 

 

何で神代がこんな所にいるの!!

 

 

あたしは慌ててバッとエスカレーターの影に身を隠した。

 

 

神代はしばらくきょろきょろしてたけど、諦めて出入り口から出て行った。

 

 

 

 

――――

 

――

 

 

神代、ちょくちょく乃亜姉のお見舞いに来てたのかな。

 

 

乃亜姉の自殺に責任感じてたみたいだもんね、当然……か。

 

 

てことはあの白いチューリップも神代が?

 

 

 

 

 

あたしはソファの上でごろりと横になって乃亜姉と明良兄のツーショット写真を眺めていた。

 

 

 

 

 

「今日千夏は夜勤だ。したがって今日は俺とお前だけ」

 

 

ふいに保健医がキッチンから声を掛けてきて、あたしは慌てて写真をしまった。

 

 

「そ。二人きり……か」

 

 

「そ。二人きり。お前とゆっくり話せるなぁ」

 

 

保健医はくわえタバコをしながら、何やら意味深な口調でこちらに来た。

 

 

手にはビールの缶とパスタがのった皿を持っている。

 

 

 

 

 

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「話ってなに?」

 

 

あたしはむくりと起き上がった。

 

 

「何から話せばいいんかなぁ」

 

 

皿を置くと、保健医はタバコを口から抜き取った。

 

 

ゆっくりとした動作でタバコの煙を吐き出すと、保健医はあたしの顔をまじまじと見た。

 

 

何よ……

 

 

 

 

「やっぱりさぁ、俺お前のこと見くびってたわ。たかが女子高生って思ってた。俺の考えが甘かった」

 

 

「何が言いたいんですか?」

 

 

あたしはわざと丁寧に言って、わざと挑発するように言った。

 

 

その先の言葉が聞きたい。

 

 

 

 

 

 

「お前、楠 乃亜の復讐をする為に水月に近づいたんだろ?」

 

 

 

 

 

 

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ドキン!

 

 

あたしの心臓が大きく音を立てて壊れそうだった。

 

 

だめ!ここで動揺を現したらこっちの負け。

 

 

 

「何のこと言ってるのか、さっぱりわかりません」

 

 

「さすが、全く動じないな。

 

 

お前のこと色々調べさせてもらった。水月は甘いところがあるけど、俺ぁ一度疑ったらどうしても気になるもんでね」

 

 

「調べたって何を?」

 

 

あたしが目だけを動かして保健医を見た。

 

 

保健医はため息とともに煙を吐き出した。

 

 

「お前んちのこと。

 

 

お前、俺らに家を見せるのを頑なに拒んだよな。いや、頑なにって程でもないか。

 

 

もっともらしい口実つけて、こっちが詮索してこない程度、に」

 

 

「だから何が言いたいんですか?」

 

 

「お前んちの隣に楠家がある」

 

 

「だから?ただの偶然でしょ?

 

 

あたし近所づきあいなんてしてないから、お隣さんとはあんまり親しくないんです」

 

 

「そうかな?だったら楠兄妹と同じ学校へ来た?お前だったらもっと高いとこ狙えただろう?」

 

 

「それは、二人の制服姿見て可愛いなって思ったからです。それに近いし」

 

 

あたしの言い訳を保健医は涼しい顔で流した。

 

 

 

ふっと笑うと、

 

 

 

 

 

「楠 明良もグルかぁ」とのんびり言った。

 

 

 

 

 

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な!何言ってんの、こいつ!

 

 

落ち着け、あたし。

 

 

こいつはカマかけてんのよ。こいつの得意技じゃない。

 

 

「言っとくけど、カマかけてんじゃねーよ」

 

 

あたしの考えを先回りして保健医が言った。

 

 

「ちゃんとした証拠が挙がってんの」

 

 

「証拠……?」

 

 

あたしが訝しげに顔をあげた。

 

 

「お前は相当周到だから最初から切り崩せるとは思わなかったから、

 

 

 

 

楠から攻めた」

 

 

 

 

 

あたしは目を開いた。

 

 

 

 

「あ、明良兄に何かしたんですか!」

 

 

言ってはっとなった。

 

 

保健医はにんまり笑って、タバコの灰を落とした。

 

 

 

 

 

「ふぅん、“明良兄”って呼んでるんだ」

 

 

 

 

しまった―――!!

 

 

 

 

 

P.369


 

 

慌てて口を噤んだけど、もう遅い。

 

 

やられた!

 

 

またも、こいつの誘導尋問にはまった。

 

 

「ま、夜はこれからだ。ゆっくり話そうぜ~」

 

 

保健医はタバコを灰皿に押し付けると、席を立った。

 

 

「ちょっとトイレ」と言って、廊下に消えていく。

 

 

 

 

残されたあたしは冷や汗を浮かべながら、頭を抱えていた。

 

 

どうする?

 

 

どうすればいい?

 

 

もう少しで計画が完成するってのに!

 

 

すぐ近くに置いた鞄を手繰り寄せる。何かないか。

 

 

何か―――

 

 

鞄の内ポケットを探ると、銀色の小さなパッケージが出てきた。

 

 

 

 

 

“ハルシオン”

 

 

 

 

いつか、神代の部屋からくすねてきた薬だ。

 

 

睡眠薬……

 

 

 

 

あたしはちょっとの間その睡眠薬を眺めた。

 

 

使えるかも……

 

 

 

あたしはパッケージを破って、見るからに健康に悪そうな青紫色をした錠剤を近くに置いてあったパスタの皿の底で荒々しく砕き、薬の欠片をビールの缶に放り込んだ。

 

 

 

 

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「お待たせ」

 

 

保健医はすぐに戻ってきた。

 

 

何の疑いもなく、ビールをぐいと一飲みする。あたしが薬を入れたことは気づかれていない。きっとビールの苦味が薬の味を消しているに違いない。

 

 

しかし、薬の効果がどれぐらいで作用するのか分からない。

 

 

薬を常用している者だと効き目が薄い、もしくは効きが遅いって前にちらりと聞いたことがある。

 

 

作用するまで、何とかはぐらかさないと。

 

 

「で、先生は何が言いたいんですか?

 

 

神代先生に近づくなって?」

 

 

「早い話そうだな。水月に復讐なんてやめとけ」

 

 

あたしは鼻で笑った。

 

 

「何であたしが神代先生に復讐しなきゃならないんですか。

 

 

まるで乃亜の自殺が神代先生のせいって言ってるみたいじゃないですか?

 

 

それとも何?神代先生は復讐されるようなこと何かやったんですか?」

 

 

保健医がメガネの奥の視線を険しくしてあたしを睨んだ。

 

 

「怖かないわよ。そんな睨み。

 

 

あたし、ホントのこと知りたいだけだもん」

 

 

「ホントのこと……?」

 

 

保健医はまたビールに口をつけた。

 

 

目をしばたいて、何度か強く瞑る。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

「いや……」

 

 

短く言ってメガネを外す。眉間を指でつまんで再びまばたきした。

 

 

「眠そうですね」

 

 

「いや……大丈夫……」

 

 

 

 

ちょっと疲れてるのかも……そう言いながら保健医の体が傾いて、とうとうテーブルに顔を伏せた。

 

 

 

 

 

 

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あたしは保健医の顔に自分の耳を寄せると、保健医の寝息が聞こえてくるのを確認した。

 

 

案外早かったな。

 

 

もうちょっとかかるかと思ったけど。

 

 

保健医が薬を常用していなかったおかげもあるだろうけれど、きっと薬自体、作用が早めにかつ多く影響するものだと気づいた。

 

 

神代が飲んでいるのはそれぐらい強い薬だったと言うわけだ。

 

 

 

 

「アルコールは薬の作用を強めます。これって常識ですよ?」

 

 

 

 

 

あたしは保健医を見下ろしてくすっと笑った。

 

 

 

 

「目障りなのよ。消えて」

 

 

 

 

―――

 

 

小さく身じろぎして、保健医が目を開けた。

 

 

保健医の上に乗ったまま眠っていたあたしも目を覚ました。

 

 

「鬼頭……何でお前……そこに?」

 

 

あたしはふわふわと欠伸を漏らした。

 

 

「何でって、やだなぁ。昨夜のこと覚えてないんですかぁ」

 

 

まだ寝ぼけたままの目をこすりながらむくりとあたしが起き上がる。

 

 

ギシっとソファが大きく音を立てた。

 

 

その音が何だかひどく卑猥な音に聞こえる。

 

 

「昨夜……って何……」

 

 

保健医も半身を起こす。

 

 

そこでようやく自分が上半身何も身につけてないことと、あたしがキャミスリップ一枚の姿であることに気づいたみたい。

 

 

「は!何で?」

 

 

保健医の顔から見る見る血の気が失せていく。

 

 

「先生って結構いい体してるんですね♪

 

 

いつかあんたがあたしに言った台詞。そのまま返してやるわ」

 

 

あたしは低く笑った。

 

 

 

 

 

 

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「お前?何したんだ?」

 

 

保健医があたしを睨みあげる。

 

 

前髪の分け目から見えた額に血管が浮き出ていて、その皮膚の下で血が暴れまわってるみたいだ。

 

 

「何って、見たままのこと。証拠だってほら」

 

 

あたしはケータイに納めた写真を見せた。

 

 

保健医は上半身裸で、あたしはキャミ姿。二人が寄り添ってる写真。

 

 

「これ見たらみんなどう思うかなぁ。あんたは学校にいられなくなるよね」

 

 

「バカかお前、俺は学校なんてどうでもいいっつうの。それにこんな写真一枚で誰が信じるってんだ」

 

 

保健医は頭を押さえた。

 

 

言葉とは裏腹に随分焦ってるようだ。

 

 

「学校はね。

 

 

でも千夏さんや、神代が見たらどう思うかなぁ。

 

 

あんた恋人も親友も一気に失うよ。

 

 

 

事実なんてどうでもいいんだよ。この画像があれば少なくともあんたとあたしが近くにいるって言う証拠になる」

 

 

保健医は素早い動作で、あたしの手首を掴んだ。

 

 

強い力。これでも手加減してるんだろうな。

 

 

本気で力入れられたらあたしの腕なんて簡単に折ることができるんだろうな。

 

 

あたしの手からケータイが抜けて保健医の脚の間に落ちた。

 

 

「残念。

 

 

もうデータは転送済みだよ。あたしに何かあったら公表する手筈になってるの」

 

 

「楠 明良か」

 

 

保健医は低く唸るように言って、忌々しそうに舌打ちした。

 

 

 

 

 

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「俺を脅してどうするんだ?」

 

 

「脅しなんて大それたことしないよ。

 

 

ただ神代先生に乃亜とあたしの繋がりを黙っててほしいの。

 

 

ね、先生。

 

 

 

 

 

あたしの愛しい共犯者になってちょうだい。

 

 

 

沈黙を守る。ただそれだけだよ」

 

 

 

 

 

あたしは保健医の耳元でそっと囁いた。

 

 

「計画が終わったら画像は全て処分する。約束よ」

 

 

保健医は乱暴にあたしを引き剥がすと、まるで蛇が敵を威嚇するように睨んできた。

 

 

「断るって言ったら?その画像が流れたらお前もただじゃ済まないだろ?」

 

 

 

 

 

 

「バカね。それであたしを負かしたつもり?

 

 

 

 

あたしはね、もう何も失うものなんてないの。

 

 

 

 

 

何も怖くない!最初から捨て身の覚悟だもん。今更そんなことでビビるわけない!」

 

 

 

ほとんど叫ぶように言い切った。

 

 

ずっと言いたくて言えなかった言葉。

 

 

ずっと誰かに分かってほしかった本音。それがようやくあたしの心の中から外へと飛び出したよ。

 

 

 

 

保健医は目をぱちぱちさせて、ちょっと哀しそうに眉を寄せた。

 

 

何で……

 

 

何でそんな顔するんだよ。

 

 

まるで「お前水月のこと好きなんじゃないのか?本当にそれでいいのか?」と語っているようだ。

 

 

そんな同情みたいな目で、あたしを見ないでよ!

 

 

 

「安心してよ。

 

 

別にあたし神代先生を殺したいとか思ってないから。

 

 

もちろんそんなことするわけないし」

 

 

 

あたしは一言言い置いて、制服のブラウスに腕を通した。

 

 

 

 

 

 

好きだよ。

 

 

 

 

大好き。

 

 

 

こんなにも愛してるのに……あたしと神代は相容れない。

 

 

 

いつかその想いが交差する日は、きっと……

 

 

 

来ない。

 

 

 

 

 

 

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