TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午後11時の再会


 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

鬼頭が僕の元を去って、今日で3日。

 

 

「まだ3日しか経ってない」なのか、

 

 

「もう3日も経った」どちらなんだろう。

 

 

ただ、鬼頭の香りを部屋で感じることがなく、それが妙に寂しい。

 

 

ゆずも、食欲がなくて僕が出した餌を食べようとしない。

 

 

「早く戻ってくるといいね」

 

 

僕はゆずの頭をそっと撫でた。

 

 

心のどこかで会いたいって思ってたからかな。

 

 

だから、楠の入院してる大学病院で彼女の幻を見たんだ。きっと。

 

 

重症だな。

 

 

そう思ってると、

 

 

 

 

ピンポーン

 

 

 

ふいにインターホンが鳴って、僕はドキリとした。

 

 

期待するな。

 

 

どうせ、新聞の勧誘か何かだろう。

 

 

「はい」

 

 

僕はインターホンに応対した。

 

 

 

 

 

『……先生。……あたし…』

 

 

 

僕は目を開いて、その場で固まった。

 

 

だけど、次の瞬間足が勝手に動いていた。

 

 

 

 

 

P.375


 

 

ガチャ

 

 

扉を開けると、白い息を吐きながら鬼頭が寒そうに首をすぼめていた。

 

 

あの芳しいタンドゥルプアゾンも帰ってきた。

 

 

「鬼頭……」

 

 

黒いコートに、手にはボストンバッグ。

 

 

 

 

「ただいま」

 

 

恥ずかしそうに、ちょっと俯いて呟く。

 

 

 

「……おかえり。もう、怒ってないの?」

 

 

「最初から怒ってないよ。でも先生がしたことは許せることじゃないと思う」

 

 

「うん。そうだよね……」

 

 

「だから条件飲んでくれたら、エマさんのことはきれいに水に流す」

 

 

鬼頭が顔を上げた。

 

 

寒さで、鼻の頭が赤くなっている。

 

 

それが可愛く感じれた。

 

 

 

「条件?」

 

 

「うん。寝るときはベッドで一緒に寝るってこと。先生ソファだといつか体壊すよ」

 

 

「え……でも、それは……」

 

 

さすがにまずいでしょ。

 

 

年頃の男女が。それも教師と、生徒だ。

 

 

そんなことを考えてると、

 

 

「嫌ならいいよ。あたしそれをネタにネチネチ先生を苛めるから」

 

 

何だか随分子供らしいことを言う。

 

 

 

 

でも……

 

 

 

僕は待っていた。

 

 

ずっと。鬼頭の帰りを。

 

 

 

 

「分かったよ。一緒に寝よう」

 

 

 

 

 

 

 

P.376


 

 

シャワーを浴び終えた鬼頭は、テーブルの上で何やら熱心にノートのような本のようなものを見ていた。

 

 

膝の上でゆずが丸くなっている。

 

 

鬼頭が戻ってきて、ゆずはすっかり元気になった。

 

 

「勉強?明日の試験に備えて?」

 

 

僕が覗き込むと、鬼頭はテーブルに女の子向けの雑誌を開いていた。それは勉強道具のノートや教科書の類ではなかった。

 

 

「何だ、勉強してるかと思ったのに」

 

 

「勉強はちゃんとしたよ。1時間ぐらい。明日の物理と、英語はばっちり」

 

 

頬杖を付いたまま目だけを僕を見上げる。

 

 

1時間……。僕が学生の頃は必死に何時間も勉強したのに。

 

 

頭の造りが違うんだな、きっと。

 

 

それが悲しい。

 

 

「何一生懸命見てるの?」

 

 

「ん。手編みのマフラー。男の人ってもらって嬉しいの?」

 

 

「え?鬼頭、誰かにあげるの?」

 

 

ちょっとズキリと心臓が響く。

 

 

あれ?何でかな?

 

 

「んなわけないじゃん。あたし編み物なんてやったことないし」

 

 

「そっか~」

 

 

ちょっとほっとする僕。

 

 

あれ?何でそう思うんだ?

 

 

「ね、先生は何色が好き?」

 

 

鬼頭が笑顔で聞いてきた。

 

 

心臓がキュっと音を立てて縮んだ気がした。

 

 

 

今日の僕はおかしい。

 

 

 

 

P.377


 

 

「僕は、白色かなぁ」

 

 

「白、ねぇ。先生らしい。ピュアな白」

 

 

「ピュア?」

 

 

聞いてて恥ずかしくなった。

 

 

「鬼頭は?」

 

 

「あたし?あたしは赤。ハートの色」

 

 

何だか鬼頭にしてはロマンチックな発言だ。でも、

 

 

「ハートの色?ハートはピンクじゃない?」

 

 

僕の意見に鬼頭はちょっと目を伏せて、微笑んだ。

 

 

鬼頭のこの笑い方が好き。

 

 

顔全体で嬉しさを表現する笑顔も好きだけど、控えめに笑うこの笑顔はどこか色っぽいんだ。

 

 

 

 

「赤だよ。心臓の色」

 

 

し……心臓ですか?やっぱロマンチックじゃなかった。

 

 

「ね、先生。ハートは何で赤い色をしてると思う?」

 

 

「心臓の色だからでしょ?」

 

 

僕はちょっと呆れたように言った。

 

 

 

 

「違うよ。ハートはねぇ、傷ついていっぱい血を流した色なんだよ。

 

 

痛くて、痛くて。傷ついても誰かを愛せずにはいられない。

 

 

恋をすることはいつも命がけなの。

 

 

だから、ハートは赤色なんだよ」

 

 

 

ギュッと心臓が一層縮んだ。

 

 

傷ついて……

 

 

傷ついて、血を流す。

 

 

誰もが、そんな想いを抱えてる。

 

 

誰もが―――

 

 

 

 

 

 

 

 

P.378


 

 

―――

 

――

 

11時。

 

 

僕と鬼頭は一緒にベッドに入った。

 

 

恋人でもないのに、同じベッドに寝るなんて何だか気恥ずかしい。友達とかのノリだと思えばいいのか……?

 

 

いや、女友達でも隣り合っては寝ないだろう。

 

 

しばらくはお互い無言でいたのに、20分ぐらい経った頃かな?ごそっと布団が動いて鬼頭が僕のほうに体を向けた。

 

 

「先生、起きてる?」

 

 

「ん。起きてるよ。どうした?眠れないの?」

 

 

「うん。先生もでしょ?」

 

 

「僕は……寝つきが悪いから」

 

 

「子守唄歌ってあげようか」鬼頭がからかいながら笑った。

 

 

「遠慮しておく」

 

 

「もうすぐクリスマスだね。先生欲しいものとかないの?」

 

 

「彼女が欲しい」

 

 

冗談交じりで言ったら鬼頭は布団の中で笑った。

 

 

「保健医はもういいの?」

 

 

「いいも何も最初っから見込みなんてなかったし。

 

 

でも言ってすっきりしたよ」

 

 

 

 

嘘……ホントはまだ好きだ。まこが普通に接してくれればくれるほど、僕はまだ彼の傍にいられんだと、期待を持ってしまう。

 

 

いっそのこと手ひどく振られたほうが良かったのか……

 

 

 

 

 

P.379


 

 

「失恋には新しい恋をするのが一番なんだよ。あたしじゃだめ?」

 

 

「え?」

 

 

本当に何のことを言っているのか分からなかった。僕は横を向いて鬼頭を見た。

 

 

「あたしは先生の彼女になれない?」

 

 

握った手を口元に置いている。片方の手は布団を掴んで引き上げているその姿がとても可愛く思えた。

 

 

 

 

 

僕たちは互いに傷つき、疲れきっていたんだ。

 

 

足りないところを埋めようと、いつも何かを必死に探してた。

 

 

今は、手を伸ばせば、その疲れた気持ちを…寂しさを埋め合える人がいる。

 

 

 

 

それもいいかもしれない。

 

 

だけどこんな曖昧な気持ちが許されるはずがない。気持ちだけじゃない、そもそも僕たちの関係自体が許されるものではないのだ。

 

 

それに―――もしこの関係が違ったものだとしても、鬼頭を傷つけるのが、目に見えている。

 

 

もう、誰も傷つけたくないんだ。

 

 

 

 

僕は体を横に向けると、鬼頭と向き合った。

 

 

 

「ごめん。困らせること言って。今の忘れて」

 

 

鬼頭は早口に言うと僕に背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.380


 

 

―――

 

 

テスト一日目

 

 

空いた時間を利用して僕はまこに会いにいった。

 

 

鬼頭を預かっててもらったお礼を言うためだ。

 

 

控えめにノックをして、「まこ~」といつのもように顔を出す。

 

 

白衣を着たまこの背中がこちらを振り向く。

 

 

「何だ、お前か」

 

 

そう言って振り向いたその顔はげっそりと顔色が悪かった。

 

 

「ど、どうしたの!?」

 

 

「いや……ちょっとトラブル?」

 

 

「トラブルってどうしたの?何があったの?」

 

 

総じてそういったトラブルに強いまこをここまで落ち込ませるって、一体何があったのだろう。

 

 

「まぁ事故みたいなもんだ」

 

 

まこは大きくため息を吐くと机の上に頬杖をついた、

 

 

その横顔が妙に頼りなく見えた。

 

 

「事故って車でもぶつけちゃったの?僕でよければ相談に乗るよ。あ、友達に損害保険の営業してるやつがいるんだ。なんなら、紹介するけど」

 

 

僕の言葉にまこはちらっとこちらを見ただけだった。

 

 

 

またため息を吐く。

 

 

「そんなんじゃねぇよ。でもサンキューな。どうにかするよ。で、お前は何しにきたの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.381


 

 

「ああそうだ。鬼頭を預かっててくれてありがとう、って一言お礼をいいたくて」

 

 

“鬼頭”と名前を出したときに、気のせいかな?まこの肩がびくりと動いたんだ。

 

 

ホントにちょっとだけど。

 

 

「まこ……?」どうしたの?って続けようと思ったけど、

 

 

「ああ、別に礼なんていいよ」

 

 

疲れを滲ませた声で、どんよりとまこは答えた。

 

 

やっぱり。

 

 

相当深刻なようだ。

 

 

 

「ま……」と言いかけて、出し抜けにまこが振り返った。

 

 

いつになく真剣な目だ。

 

 

 

 

 

 

「水月、あの女には気をつけろ」

 

 

 

 

 

 

いつか聞いた台詞。

 

 

“あの女”って言うのが誰だかすぐに分かったけど、僕は問い返すことができなかった。

 

 

鬼頭―――

 

 

 

まこ、と何があったんだ?

 

 

まこに何を言ったんだ?

 

 

 

 

 

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