TENDRE POISON
~優しい毒~
『はじまりの予感』
◆午後6時の沈黙◆
◇◇◇◇◇◇◇◇
午後6時。
あたしんちで明良兄と二人食事をしている。
別にいつも一緒に食事するわけじゃないよ。
今日はたまたま、ね。
「うまい。雅、いい嫁さんになるよ」
あたしの作った肉じゃがを食べながら、明良兄が言った。
「ありがと。そう言えば、あたし半年間神代の助手を務めることになったよ」
あたしは『いい嫁さんになる』と言われたことに対して、照れ隠しに言った。肉じゃがにいれたにんじんを口に入れる。
「助手?」
明良兄は箸を休めた。
「うん。助手って言っても単なるお手伝いだけど。それでも神代に近づくチャンスがぐっとあがるよ」
「お前、すげーな!どうしたらそんな展開になるんだよ」
あたしはちょっと得意げに笑って、白紙の答案用紙を提出したことを話した。白紙を出した時点で神代がどう出るか分からなかったけど、こうゆう展開になって良かった。
「すげぇな。ま、お前だからできることだけど。
てかごめんな。乃亜のためにお前がわざわざ俺たちの高校受験して。ホントはもっとレベルの高い高校に行けた筈なのにな」
「やめてよ。あたしが好きでやってるんだから」
あたしはちょっと眉を寄せた。
「あたしは乃亜の復讐に全てを賭けてるの」
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「ホントは俺がやるべきことなのに」
「男の明良兄にはできないことだよ」
あたしはちょっと笑った。
明良兄も笑顔を返してくる。
「でも、お前はホントにできた妹だよ。血が繋がってるわけじゃないのに、乃亜のためにそこまで必死になってくれて」
「血が繋がってなくてもあたしにとって乃亜姉はホントのお姉ちゃん同然なんだよ。だから神代が許せない」
あたしは―――
こんな性格だから友達なんて居ない。心を許して何もかも話せる相手は乃亜姉と明良兄しか居ないのだ。
独りでもいいけど、でもやっぱり誰かに寄りかかりたいときだってあるのだ。乃亜姉はその唯一の心の拠り所だった。
あたしの言葉に明良兄はちょっと寂しそうに笑った。
「ホントのお姉ちゃん……か」
「明良兄?」
明良兄はちょっと遠い目をすると、一つ息を吐いた。
「俺……実は乃亜とは血が繋がってないんだ」
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血が……繋がってない?
「は?……何言ってんのよ……また悪い冗談……だよね」
明良兄はたまにあたしたちをからかってブラック過ぎるジョークを言うときがある。あたしはあまり表情を表に出さないけど、乃亜は素直だから明良の思う壺のような反応を示す。明良兄はそれを見るのを結構楽しんでるフシがある。
でも、いつも驚いて引っかかる筈の乃亜姉は
居ない。
「冗談じゃねーよ」
明良兄は顔を伏せて呟いた。
マジで...…
「そのこと乃亜姉は……?」
「知らない。知ってるのは俺と俺の両親だけだ。
俺たちの両親が結婚したとき、俺の母親と、乃亜の父親にはそれぞれ連れ子がいたんだ。それが俺たちだった。乃亜はまだ赤ん坊だったから、そんなこと覚えてないだけだったんだ。
黙ってて悪かったと思ってる。
でも俺は乃亜のことをホントの妹だと思ってる。今でも変わらないよ」
「何で。そんな重要なことあたしに言うの……?」
「お前だからだ」
明良兄は顔をあげた。
口は真一文字に結ばれ、目が僅かに釣りあがっていた。
真剣な顔つきだ。
「ごめん」
あたしは席を立った。
まだ食事の最中だったけど、箸を置いて。
「何で謝るんだよ」
明良兄が向かい側から問いかけてくる。
あたしは無理やり笑った。
「ちょっと気持ちを整理させたい。一人になりたいの」
あたしの答えに明良兄は寂しそうにちょっと笑った。
出来上がったばかりの肉じゃがは寂しそうに湯気を立ち上されているだけだった。
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部屋に移動して、あたしは一人ベッドに腰掛けた。
明かりはつけてない。
真っ暗な部屋で……一人考える。
「何で……」
あたしは呟いた。
何で今更そんなこと言うの?中途半端に暴露するんじゃなくて、いっそのこと黙ってて欲しかったよ。
明良兄は悪くないのに、何だか明良兄にひどく裏切られた気がする。
同じく乃亜姉も裏切られてたんだ……
可哀想な乃亜姉。
このとき初めて乃亜姉が眠ったままでよかったって思えた。
でも
今、大事なことは二人の血の繋がりじゃない。今更知らされた事実に動揺しているようじゃ、今後神代を陥れるときにうまく立ち回れない。
考えを切り替え無かれば。
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◆◆◆◆◆◆◆◆
「悪いな、家まで送ってもらって」
「いいよ、近いし」
僕は車を運転しながら言った。
実際、まこが一人で暮らすマンションは学校からそう離れていない。
電車で2駅ほど、というところだ。
もっと遠いところにあれば良かったのに……
そうすれば、それまで二人きりでいれたのに。
雨足は一向に止まない。それどころか強まる一方だ。
ワイパーを動かす速度を早めた。視界が悪い。
集中してハンドルを握っていると、出し抜けにまこが口を開いた。
「水月、香水でもつけてるのか?」
「香水?ううん。つけてないけど」
「芳香剤かな。いい香りがする」
香り……
あ!鬼頭の香りだ。
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でもこのことをまこに言う気になれなかった。
何故だろう。でも言ってしまったらきっと良くないことを引き起こすような気がしたんだ。
―――鬼頭に、助手の手伝いをさせた。と言えばまこはどう思うだろう。
「車の芳香剤だよ。きっと……」
僕は曖昧にごまかした。
やがて車はまこのマンションに到着した。
短い……ドライブだった。
マンションの前につけると、エントランスの屋根の下に一人女の人が立っているのが見えた。
上品なトレンチコートを着ている。
まこは車の窓を開けると、
「千夏」と呼んだ。
隣で僕は目を開いた。
チナツ―――
僕の知らない名前。
知らない人。
でもまこは親しげだ。名前を呼ぶ声に愛を感じた。
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「誰?」
僕が聞くと、まこは照れくさそうに
「ん~、彼女」とのんびり答えた。
「大学の後輩。この間飲みに行って意気投合したんだ」
大学の後輩……
僕は知らない。
そんな顔をしていたのだろうか、
「お前とは学部が違うから、知らなくて当然だろう。彼女ああみえてレントゲン技師なんだ」
と答えてくれた。
「送ってくれてサンキューな。今度なんか奢る」
「どうせ、缶コーヒーでしょ」
僕は笑った。
心の中の動揺を押し隠して。
「砂糖いっぱいの甘いやつ、嫌がらせに」まこは笑いながら、車から出た。
そのまままっすぐ…走って千夏という女の人のもとへ行く。
僕は黙って車を発車させた。
二人の親しげな雰囲気を目の当たりにしたくない。
今夜も眠れそうになさそうだ―――
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