TENDRE POISON 

~優しい毒~

『はじまりの予感』

◆午後9時の部屋◆


 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

鬼頭の言った駅は僕の家の最寄り駅と同じだった。

 

 

家が近くだということは、言わなかったけどちょっと驚いた。

 

 

一緒に車に乗ってると、鬼頭の香りをより身近に感じて僕の胸は何故かドキドキした。

 

 

 

 

僕が緊張してることも露知らず、鬼頭はマイペースにマスコットをルームミラーにつけている。

 

 

スヌーピーのマスコットとは、女の子らしい。しかもピンクや黄色といったきれいな花が首元に巻き付いていた。

 

 

なんて考えてたら、スヌーピーで後ろが見えなくなった。

 

 

 

「それじゃミラーが見えないって」

 

 

僕は苦笑して横を見た。

 

 

折りしも信号は赤だ。

 

 

 

 

 

きちんと停車してから顔を横に向けると、彼女の顔が意外にすぐ近くにあってびっくりした。

 

 

こうしてみると、彼女は本当に美少女だった。

 

 

きめが細かくて透き通るような白い肌。

 

 

大きな、少しつり目がちの黒曜石のような黒い瞳。

 

 

桜色の艶やかな唇……

 

 

 

 

何故かその淡い色をした唇から目が離せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

彼女の香りをより一層強く感じて彼女の顔が近づいてきた。

 

 

 

 

 

 

P.60


 

 

 

キス―――……

 

 

 

 

最初は何をされたのか分からなかった。

 

 

 

ただ、唇に柔らかい感触を感じて……

 

 

 

 

 

 

僕は慌てて顔を離した。

 

 

 

「ごめっ!」

 

 

条件反射で思わず謝った。ハプニングだと言いたいが、そうじゃない。

 

 

もちろん僕から近づいたわけじゃないが。

 

 

「何で謝るのよ。したのはあたしだし」

 

 

鬼頭はしれっとして言う。

 

 

何だか僕よりずっと冷静に見えた。

 

 

僕は年齢が年齢だしキスなんて初めてではなかったけど、鬼頭は……

 

 

 

 

 

どうなんだろう。

 

 

 

どういうつもりなんだろう。

 

 

 

 

 

 

それにしても!

 

 

 

 

生徒とキスしてしまった!

 

 

 

 

 

 

由々しき問題だ!!

 

 

P.61


 

 

 

―――

 

 

鬼頭を駅で降ろすと、僕はすぐに自分のマンションに帰った。

 

 

何だか今日一日色んなことがあって―――疲れた。

 

 

部屋の前に着くと、鍵を差し込んだところで僕は大きなため息を吐いた。誰も聞いてないし、気にすることもないと思っていたが。

 

 

 

 

「でっかいため息」

 

 

耳元で声がして、僕は飛びあがりそうになった。

 

 

 

 

「まこ!どうしてここに!?」

 

 

まこは高い身長をちょっと屈めて僕のすぐ後ろに立っていた。

 

 

部屋のドアに手をついて、片方の手は腰にあててる。

 

 

その格好がすごくさまになっていて、ぼくは思わず見とれた。

 

 

 

 

 

 

「鍵、学校に忘れちゃってさぁ。今日泊めてくんない?」

 

 

 

 

 

 

P.62


 

 

 

「え?忘れたってなんで?」僕はきょとんとなる。

 

 

「忘れたことに理由なんているのかよ。相変わらず天然だな」

 

 

そう言って、僕の額を指ではじく。

 

 

 

手加減されてたからそれほど痛くなかたけど。

 

 

 

「つべこべ言わず、泊めろよ。それとも何?女でもいるわけ?」

 

 

僕はぶんぶん首を振った。

 

 

女なんているわけない。

 

 

 

 

 

 

だって僕はずっとまこが好きなんだから……

 

 

 

 

 

僕は黙って鍵を開けた。

 

 

「てか、忘れたのなら取りに帰ればいいだけだろ?」思わず苦笑を漏らすと

 

 

「やだ。面倒」とあっさりバッサリ。

 

 

扉を開けると、飼い犬のロングコートチワワが走って僕のところにきた。

 

 

名前は“ゆず”だ。

 

 

他にも“りんご”とか“みかん”とか“イチゴ”とか候補があったけど、まこに相談したら『ゆず』が良いって言ったからこの名前に決めた。

 

 

ゆず、はまこの知人の獣医から引き取った子だ。もともと病気がちで、体重や体の骨格も小さかったゆずは引き取り手が居なくて困っていたと言う。

 

 

ゆずと兄弟だった子たちはすぐに飼い主が見つかったのだが。

(今は病気がちの体質も良くなってすくすくと元気に育っている。元気過ぎのオテンバ娘に少々困ったところもあるが)

 

 

僕のマンションはペットOKだし、僕が小さな動物を好きなことを知っていたまこが、ゆずを連れてきた。

 

 

ちょうど良かった。一人で寂しかったし。

 

 

僕は妹のつもりでゆずを可愛がっている。

 

 

 

ゆずは嬉しそうにキャンキャン小さく吼えると僕の周りをうろうろ。

 

 

 

 

 

 

 

そんなゆずをまこは軽々と抱き上げた。

 

 

 

「ゆず~久しぶりだな♪」

 

 

そう言ってまこはゆずにキスをする。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのとき僕は猛烈にゆずに嫉妬した。

 

 

 

そして同時にゆずになりたいと思ったんだ。

 

 

 

 

 

P.63


 

 

「適当にくつろいでよ」

 

 

リビングに通すと、まこはジャケットを脱いでソファに放り投げた。

 

 

言われなくてもしっかりくつろいでるようだ。

 

 

「へぇ、きれいに片付いてるな。俺の部屋と違う」

 

 

 

 

まこはきょろきょろと辺りを見渡してる。

 

 

まこを部屋にあげるのは初めてじゃないけど、泊めるのは今夜が初めてだ。

 

 

片付けておいて良かった。

 

 

僕は高鳴る心臓の音がまこに聞こえやしないかと不安だった。

 

 

 

 

 

「水月」

 

 

 

唐突に名前を呼ばれて僕は顔をあげた。

 

 

すぐ近くにまこの顔がある。

 

 

 

 

 

ドキリとした。

 

 

 

 

「水月、鬼頭といたな」

 

 

 

 

え―――……?

 

 

 

 

 

 

「タンドゥルプアゾンの香りがする」

 

 

 

 

 

 

 

P.64


 

 

まこの真剣な二つの目が僕を捕らえる。

 

 

僕はその黒い瞳から逃れられなかった。

 

 

視線を逸らせずにいると、

 

 

まこは呆れたように小さくため息を吐いた。

 

 

 

 

 

「あれほど気をつけろって言っただろ?」

 

 

「気を付けるもなにも、彼女はただの生徒だ」

 

 

僕は言い切った。

 

 

だって本当のことだし。

 

 

 

 

 

「たぶらかされてるじゃないのか?」

 

 

 

まこは前髪をくしゃりと掻き揚げて言った。

 

 

表情がちょっと怒ってる。

 

 

 

 

「たぶらかされるってどういうことだよ?彼女はそんなんじゃない。第一僕をたぶらかしたって彼女に何のメリットがあるっていうんだ?」

 

 

まこはキョトンとなった。

 

 

自分の発言に現実味がないことを悟ったようだ。

 

 

 

「そりゃ、成績をあげろとか……」

 

 

「彼女は僕に成績を頼むぐらい落ちぶれていないよ。現に僕の数学だっていつもトップクラスだ」

 

 

 

まこは面白くなさそうに唇を尖らせた。

 

 

 

 

 

 

「随分鬼頭の肩をもつんだな。

 

 

 

お前、鬼頭と何かあったんじゃないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

P.65


 

 

 

まこの言葉にどきりとした。

 

 

何か……

 

 

 

僕は唇を押さえた。

 

 

 

「……何でそんな顔するんだよ……やっぱり何かあったんだな!」

 

 

まこは僕の腕をぐいと引っ張った。

 

 

勢いで、僕がソファに倒れこむ。

 

 

 

ソファの下でゆずがワンと一声吠えた。

 

 

 

 

 

 

まこは僕の上に乗っかかってきた。

 

 

 

 

僕の心臓がドクンと大きく波打って、そのあとも大きくなり続けた。

 

 

音のない部屋で僕の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。

 

 

「何もないって!どいてよ」

 

 

これ以上このままだとどうにかなりそうだ。

 

 

僕はまこの肩を押しのけて起き上がろうとした。

 

 

力なら自信がある。こう見えても空手の有段者だ。その気になれば、僕より身長が高いまこでも簡単にねじ伏せる自信はあった。

 

 

けれど

 

 

 

 

 

まこはいとも簡単に僕をソファに押し戻す。

 

 

まこ、相手だからだろうか。長年やってきた空手の技は繰り出せず僕の体から力と言う力が失われていく。

 

 

 

 

まこは僕の顎を片手で掴んで、自分の方を向かせた。

 

 

 

 

 

「嘘ばっかり。お前は鬼頭と何かあったね。

 

 

それで、鬼頭に心を奪われ始めてる」

 

 

 

 

 

 

 

P.66


 

 

 

そんなことない。

 

 

僕が好きなのは、ずっと目の前にいるまこなんだから……

 

 

 

 

でもこの気持ちは伝えられない。

 

 

言ってしまったら終わりだ。

 

 

 

 

そんな僕の苦悩を知らないまこが、今は疎ましい。

 

 

 

 

「僕の上からどいて!」

 

 

僕はありったけの力を使って、まこを押しのけた。

 

 

空手をやっていたときの力強さが戻ったのは一瞬だった。その一瞬で押しのけたのだ。

 

 

 

 

 

もう限界だった。

 

 

 

 

 

震える肩を両腕で抱える。

 

 

ゆずが僕の足元をうろうろしてる。

 

 

大声出したからきっと心配してるんだ。

 

 

「鬼頭とはただの生徒と教師の関係だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 

僕はゆずを抱き上げて弱々しく言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもさっきのキスが忘れらない。

 

 

ただの生徒と教師がキスなんてしない。

 

 

 

 

 

そんなこと分かりきっていたのに、僕は否定するしかできなかった。

 

 

いや

 

 

否定しなければならない。何が何でも。

 

 

 

 

 

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