TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午前9時の事故


 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

校長室を出た直後に、突然鬼頭は倒れた。

 

 

びっくりした。

 

 

前触れもなく、ふっと糸が切れたように突如意識を失ったんだ。

 

 

まるで糸がプツリと切れたマリオネットのように、その場で崩れた。

 

 

慌てて支えたから頭とかは打ってないようだけど。

 

 

すぐに他の先生と保健室に運んだけど、大丈夫かな?

 

 

幾分か顔色が悪かったし心配だ。

 

 

そういう事情があったから、二時限目は散々だった。

 

 

簡単なはずの公式を言い間違えるし、生徒の名前を呼び間違えるし……

 

 

生徒たちは表向きは何事もなかったようにしているけど、時折

 

 

「ねぇ、あの噂ってホントかなぁ?」

 

 

「あんなの合成写真じゃん」

 

 

とかヒソヒソ噂が飛び交ってた。

 

 

 

 

 

二時限目が終わると、僕は逃げるように保健室に向かった。

 

 

まこには「あれほど気をつけろって言っただろ!」とお小言を言われそうだったが、今はそんなこと気にしていられない。

 

 

何より鬼頭の様子が心配だ。

 

 

 

 

保健室の扉をノックすると、

 

 

「うぃーっす、開いてるよ~」と、まこののんびりした返事が返ってきた。

 

 

おずおずと僕が保健室の扉を開けると、

 

 

机に向かって何やら書類を書いていたまこが振り向いて、手をあげた。

 

 

「よ」

 

 

僕も手を軽く手をあげる。

 

 

 

「まこ…鬼頭の様子は?」

 

 

 

まこは難しい顔を作った。

 

 

 

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「そんなに悪いの?」

 

 

僕が顔色を変えると、

 

 

「いんや、起きて一人で帰ってった。んな心配するな。ありゃただの貧血だ」

 

 

と笑った。

 

 

貧血……

 

 

僕がほっと胸を撫で下ろす。そう言えば前も貧血で倒れたっけ。

 

 

 

「そんなに心配か?あいつのことが」

 

 

その物言いは怒ってる風でもなく、呆れている様子でもなかった。つるりと無表情だ。

 

 

「そりゃ心配だよ。僕の目の前で倒れたわけだし……僕の可愛い生徒だし」

 

 

「可愛い、ねぇ」

 

 

含みのある言い方をしてまこは皮肉そうに唇の端を吊り上げた。

 

 

「な、なんだよ。別に普通でしょ?」

 

 

まこは軽く肩をすくめてみせた。

 

 

「そう思うのは普通だが、あいつは普通の女子高生とはちょっとばかりわけが違うぜ?」

 

 

想像と反してまこはどこかしら楽しそうだ。

 

 

 

 

 

―――何だか嫌な予感がする。

 

 

 

 

 

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「わけが違うって?」

 

 

僕の声が震えていた。

 

 

「あいつをただの女子高生にしておくのはもったいないって話。頭が切れて、でも何を企んでるのか分からない腹黒さがあって、面白い」

 

 

まこが顎の先を指でつまんだ。

 

 

「腹黒いって、彼女に失礼だよ」

 

 

綺麗な指で顎を撫でながら、まこがこちらを向く。

 

 

「マジな感想。でも、お前お咎めなしなんだろ?ホントに良かったな」

 

 

「……うん。彼女とはしばらく距離を置くことにしたよ」

 

 

僕は歯切れの悪い返事を返した。

 

 

「それがいい」

 

 

まこは納得したように、ふんと鼻を鳴らした。

 

 

これがいいいんだ。

 

 

 

 

――――

 

――

 

 

まこと別れて、僕は一人校舎裏でタバコを吸うことにした。

 

 

幸いにも人がいない。

 

 

 

 

僕が感じた嫌な予感ってなんだったんだろう。

 

 

まこが鬼頭に興味を持ったから……?

 

 

僕は嫉妬しているのだろうか?

 

 

誰に?

 

 

鬼頭に?

 

 

 

 

それともまこに?

 

 

 

 

 

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まこを誰にも取られたくない。それは素直な感情だ。

 

 

ホントはまこの彼女の千夏さんの存在にも日々嫉妬している。

 

 

でも鬼頭には……

 

 

彼女にも……僕はまこに対する似たような感情を持ち合わせてる。

 

 

 

 

今、気づいた。

 

 

僕は最低だ。鬼頭をフっておいて、まこが好きだと言っておいて、でも鬼頭も取られなたくない。

 

 

 

僕は……最低だ。

 

 

 

そんな自己嫌悪に陥って校舎裏でむやみやたらとタバコを吹かせていると、人の気配がして僕は慌ててタバコを地面でもみ消した。

 

 

 

 

 

人の気配は梶田 優輝だった。

 

 

 

 

なんだろう。

 

 

酷く慌ててきょろきょろと辺りを伺っている。

 

 

「梶田、どうした?」僕が呼び止めると、梶田は目を開いて立ち止まった。

 

 

「あんた!何やってんだよ!!」

 

 

目が合うと梶田はそう言って仁王立ちになった。掴みかかってきそうな勢いだ。

 

 

でも、それはこっちの台詞だ。

 

 

「一体、どうしたって言うんだよ。そんなに慌てて」

 

 

梶田は眉をしかめると、いい辛そうに表情を歪めた。

 

 

 

 

 

「鬼頭が、三年の女に連れてかれた」

 

 

 

 

 

 

 

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「連れて行かれたって、どういう…」

 

 

僕が最後まで言い終わらないうちに梶田は大声をあげた。

 

 

「わかんねぇよ!!5人ぐらいの集団で、あいつしめられっかもしれねぇ」

 

 

 

 

僕は目を瞬いた。

 

 

「落ち着きなさい。何でそんな風に思うんだ?」

 

 

僕が両手で彼を宥めようとすると、梶田はキッと目を光らせて僕を睨んだ。

 

 

 

 

 

「あんたのせいだよ!あんたが鬼頭に手伝いをさせるから、あんな写真…!

 

 

鬼頭を連れてったのはあんたの親衛隊だ!」

 

 

親衛隊って…僕にそんなものがあるのか。って感心してる場合じゃない!

 

 

 

「何で着いて行かなかった!」僕は思わず怒鳴っていた。

 

 

梶田は少し怯んだように一歩後退した。

 

 

「…俺がいないときに連れてかれたんだよ。後からクラスの女子に教えられて」

 

 

 

「とにかく、手分けして探そう。君は校舎裏を頼む。僕は校舎の方を見てくる」

 

 

 

「お、おう…」

 

 

僕の言葉に圧倒されたように、梶田が回れ右した。

 

 

 

 

僕は校舎に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

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鬼頭、どこにいる?

 

 

キーンコーンカーンコーン

 

 

鐘が鳴り響く廊下を僕は全力疾走していた。

 

 

「ど、どうしたんですか神代先生。そんな怖い顔して」

 

 

途中で和田先生とすれ違った。

 

 

「先生、鬼頭を見ませんでしたか?」

 

 

「鬼頭?そう言えばさっき5、6人の生徒たちと一緒に中央階段を上っていきましたよ」

 

 

「どうも!」短く返事を返すと、僕は中央階段に向かい、校舎の中央にある階段を一気に駆け上った。

 

 

この校舎に人目に着かず話し合いのできる場所なんてそうない。

 

 

内容は話し合いどころではないと思うが。

 

 

 

 

 

僕のせいで……そう思うと、一刻も早く彼女を見つけなければという思いに急き立てられた。

 

 

 

 

確か中央階段を昇りきったところは第三音楽室やら美術室やら使用していない教室が連なっている。

 

 

そのどこかに彼女がいる―――

 

 

 

 

そう思った矢先のことだった。

 

 

 

 

 

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女生徒の悲鳴が聞こえて僕は足を止めた。

 

 

声は鬼頭のものではなかった。

 

 

そのことに少しだけほっとする。

 

 

 

 

ほっとしたのもつかの間、

 

 

「待てよ!」と女生徒の怒鳴り声が聞こえてきた。

 

 

それとほぼ同時に鬼頭が階段の踊り場に現れる。ほとんど転がるように足をもつれさせて。

 

 

「鬼頭―――」

 

 

鬼頭は階下にいる僕の顔を見ると目を開いた。だがその奥から勢いをつけた腕が伸びてきた。

 

 

 

腕は鬼頭の両肩を掴むと、彼女を階上に引き上げようとした。

 

 

「触んな!」鬼頭が腕を振り払おうとするが、何人かの腕を引き離すことはできなかった。

 

 

 

 

 

「鬼頭!」そう叫んだと同時だった。

 

 

 

 

 

ガシャン―――!!

 

 

 

 

 

と派手な音がして僕は目を開いた。

 

 

 

 

 

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踊り場にかかったガラス製の額縁に鬼頭は打ち付けられた。

 

 

何でこんなところに額縁があるかって?

 

 

過去の美術部員の作品が飾ってあったのだ。

 

 

その額縁は総ガラスでできて、何かの大賞を取ったとかで恭しく飾ってあった。

 

 

 

 

ガラスが割れる派手な音がして、鬼頭がずるりとその場に膝をつく。

 

 

 

 

「鬼頭―――!!」

 

 

僕は叫んで、階段を駆け上った。

 

 

鬼頭を額縁に打ち付けた女生徒は、むろんそうなることを予想していなかったのだろう。

 

 

何が起こったのか分からないという感じで呆けていた。

 

 

顔色を真っ青にして一瞬僕を見やる。目が合うと、

 

 

「やば!!行こっ」何年何組の生徒か確認する暇もない。女生徒たちはバタバタと足音を立てて足早に去ってしまった。

 

 

 

 

鬼頭のしゃがみこんだ周りの床は無残に砕け散ったガラスの破片が落ちている。

 

 

 

「鬼頭!!大丈夫か!」

 

 

肩やスカートにかかったガラスで鬼頭がさらに怪我をしないよう、僕は慎重に彼女を抱き上げた。

 

 

彼女の制服のブレザーは赤く染め上げられており、袖からはおびただしい血が流れていた。

 

 

「鬼頭!」

 

 

僕は彼女を抱きとめると、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 

 

白い頬に薄い切り傷があるが、どうやら顔や頭は無事なようだ。

 

 

 

 

「せんせ……いた……い」

 

 

 

鬼頭はうつろな目で僕を見上げてきた。

 

 

 

こんなときまでも、鬼頭は芳しいまでのタンドゥルプアゾンを身にまとっている。

 

 

 

それが今は少しだけ疎ましい。

 

 

 

 

 

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「……おい!どうしたんだ!?」

 

 

タイミングよく階下に梶田が現れた。

 

 

彼は確か校舎裏を捜すよう指示した筈だが、どうやら諦めて校舎内を捜すことにしたんだろう。

 

 

走り回っていたのか息を切らしている。

 

 

「梶田!ちょうど良かった。まこを……保健室の先生を呼べ!ついでに救急車だ!」

 

 

僕の腕の中で血を流してぐったりしている鬼頭を見て梶田は顔を青くしていた。

 

 

「お、おい。何があったんだよ……」

 

 

梶田は弱々しく呟いて、階上へあがって来ようとしたが、

 

 

 

 

「いいから!今すぐ呼んで来い!!」

 

 

 

それを制して僕は怒鳴った。今の僕のどこにこんな大声をあげる力があったのか不思議だったが、鬼頭を助け出したい一心だったに違いない。

 

 

梶田は弾かれたように飛び上がり、慌てて階段を下っていった。

 

 

 

 

「しっかりしろ、鬼頭。今先生が来るから」

 

 

僕の腕の中でぐったりと体を預け、目を閉じていた鬼頭は小さく頷いた。

 

 

よく見ると、鬼頭の短いスカートからも赤い血が流れて白い太ももを赤く染め上げていた。

 

 

床に広がる血の塊が僕の手を生温かく濡らす。

 

 

 

 

「せんせ……」

 

 

僕の腕の中で鬼頭は消え入りそうな声を搾り出した。

 

 

血で染まった震える手をゆっくりと上げる。

 

 

「鬼頭、じっとしてろ」

 

 

 

鬼頭は震えながら、ゆっくりと小指を立てる。

 

 

 

 

 

「……小指を…」

 

 

 

 

 

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「僕の指?」

 

 

鬼頭はゆっくり頷いた。

 

 

僕は言われたまま小指を鬼頭に差し出した。

 

 

僕の指もまた、震えていた。

 

 

鬼頭は細い指をゆっくりと僕に近づけると、僕の指に自分の指を絡めた。

 

 

 

 

 

「……運命の……赤い糸みたい……」

 

 

 

鬼頭は一生懸命笑った。

 

 

 

こんなときも彼女の笑顔はとても綺麗で、思わず見とれてしまうほどだった。

 

 

 

太陽みたいな笑顔。

 

 

 

こぼれるような笑顔。

 

 

 

 

『先生……』

 

 

鬼頭の姿が楠の顔に重なる。

 

 

楠のこぼれるような笑顔に―――きれいに重なった。

 

 

 

 

ごめん……楠……

 

 

ごめん

 

 

 

 

鬼頭―――

 

 

 

 

 

僕のせいだ―――

 

 

 

 

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