TENDRE POISON 

~優しい毒~

『赤い糸』

◆午後9時のGT-R


 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

月曜日。

 

 

職員用の下駄箱で大きな欠伸をして靴を履き替えてると、背後から声を掛けられた。

 

 

「でっけぇ欠伸」

 

 

聞きなれた声に僕は驚いて振り返った。

 

 

下駄箱に肘をついて、まこが体を斜めにしている。

 

 

「まこ」

 

 

「夜更かしか?それとも眠れなかった?」

 

 

僕はパタンと下駄箱の扉を閉めると、

 

 

「昨日一日テスト問題作ってた」と答えた。

 

 

 

良かった。

 

 

案外、普通に喋れる。

 

 

もっとぎくしゃくするかと思ったのに。

 

 

それとも、まこがこうやって何事もなかったかのように、普通に接してくれるからだろうか。

 

 

「テスト?そいやぁ今週からだっけね。保健医にはそういうの関係ねぇから、気楽なもんよ」

 

 

「まこが気楽にできるのは、今まで僕らよりいっぱい勉強してきたからでしょ?」

 

 

僕は軽く笑った。

 

 

「まぁね」まこは短く返事を返すと、いきなり一枚の紙を僕の前にさっと出してきた。

 

 

「何これ?」

 

 

「イケメンコンテストの結果。ミスコンのもあるぞ。新聞部が配ってたぜ。あいつらも懲りないようなぁ」

 

 

まこは苦笑いをして、行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

P.356


 

 

まこが置いていった紙を見ると、見出しに『イケメン、美女コンテスト結果発表』となっていた。

 

 

ホントに懲りないなぁ。

 

 

僕が苦笑して紙を見ると、イケメンコンテストの一位は、

 

 

“神代 水月(数学教師)”とあった。

 

 

理由:“甘いマスクの数学教師、ちょっと天然で気取らないところが好き”

 

 

“とにかく優しい。親身になって悩みを聞いてくれる”

 

 

“可愛い!彼氏、というより弟にしたい感じ”とその他もろもろ理由が書いてある。

 

 

 

 

 

は、恥ずかしい……

 

 

思わず赤面して、2位の欄を見る。

 

 

 

 

2位は

 

 

“林 誠人(保健医)”

 

 

理由:“大人の色気があってとにかくかっこいい”

 

 

“何かエロい”

 

 

“大人。しっかりとエスコートしてくれそう”

 

 

 

 

僕とまことの票差は僅差だけど、書いてある内容は随分違う。

 

 

僕のことは男としてじゃなくて、みんな弟や友達みたいな感覚なんだろう。

 

 

やっぱり、女の子はまこみたいな男らしい男がいいものなのかなぁ。

 

 

 

3位は、

 

 

“楠 明良(3-C)”

 

“梶田 優輝(1-B)”

 

 

と二つ名前が並んでいた。

 

 

 

 

 

 

P.357


 

 

 

楠 明良―――

 

 

楠 乃亜の兄だ。確か。

 

 

 

 

 

理由:“クールだけど、話面白くて頼れる”

 

 

“不良っぽいけど、何気に優しいから”

 

 

 

梶田 優輝

 

 

理由:“やんちゃそうだけど、そこが可愛い”

 

 

“とにかくかっこいい!!可愛い”

 

 

 

 

 

みんな理由は様々だなぁ。

 

 

ぼんやりと紙を読みながら、廊下を歩いた。

 

 

今日は少し早めに来たから、廊下は静かだ。

 

 

 

 

ミスコンの方の欄を見ると

 

 

1位はダントツで、

 

 

“鬼頭 雅(1-B)”だった。

 

 

 

理由:“マジ可愛い!!彼女にしたい”

 

 

“あんなに可愛いのに我が道を行くって感じがかっこよくて尊敬できる”

 

 

“人形みてぇ”

 

 

 

 

「“好きです、付き合ってください”って何だこりゃ」

 

 

 

僕は思わず微笑んだ。

 

 

靴音がして、前を見ると、前方から鬼頭が歩いてくるところだった。

 

 

 

 

 

 

P.358


 

 

鬼頭は耳にヘッドホンをかけ、何か本を読みながら歩いてくる。

 

 

集中してるのか、僕の姿に気づかない。

 

 

それでも足取りはしっかりしていた。

 

 

器用な子だ。

 

 

 

 

「……鬼頭」

 

 

彼女の前で僕は足を止め、遠慮がちに声を掛けた。

 

 

鬼頭はびっくりしたように顔をあげて、僕だと分かると更に驚いたように目を開いた。

 

 

慌ててヘッドホンを離す。

 

 

「……おはよう」

 

 

「…おはようございます……じゃ」

 

 

短く言うと、すぐに僕に背を向ける。

 

 

ひどく慌ててるみたいで、忙しなく僕から視線を逸らす。

 

 

すれ違う様に、芳しいタンドゥルプアゾンが香ってくる。

 

 

1日嗅いでなかっただけなのに、随分久しぶりな気がする。

 

 

 

 

「待って!」

 

 

僕は鬼頭の背中に向かって大声を出した。

 

 

鬼頭が立ち止まる。

 

 

 

 

 

 

P.359


 

 

「……何か?」

 

 

鬼頭が振り返る。

 

 

まだ怒ってるのだろうか、言葉に棘を感じた。

 

 

 

 

 

「……ごめん、引き止めて。…その、僕……」

 

 

はっきりと言い出さない僕に鬼頭は苛々したように眉を吊り上げている。

 

 

「弁解ならいいですよ。あたし、急いでるんで」

 

 

鬼頭は冷たく言うと、さっと踵を返した。

 

 

 

 

「待って!」

 

 

僕が乱暴に鬼頭の腕を掴んだので、ヘッドホンと参考書が廊下の床に落ちた。

 

 

鬼頭が眉を寄せて、こちらを見上げた。

 

 

怒ってる……

 

 

 

風ではなかった。どちらかというと酷く困惑してる。そんな表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

「僕、言ったから。

 

 

 

まこに、自分の気持ちを伝えたから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.360


 

 

「伝えたって、好きだって告白したんですか?」

 

 

「……うん」

 

 

「あいつは何て?」

 

 

「まこは……友達としか見れないって。当然だよね」

 

 

僕は自嘲じみた笑みを漏らすと、空いた方の手で額を覆った。

 

 

 

 

「そう……」

 

 

鬼頭は短く答えただけだった。

 

 

だけどその瞳が暗く曇っている。

 

 

同情とは違う、何か別の感情で僕の結果を悲しんでる……ように見えた。

 

 

 

 

「何か色々迷惑かけてごめん」

 

 

「迷惑だなんて……別に…じゃ、あたし急ぐんで」

 

 

乱暴に腕を払い急いで落ちたヘッドホンと参考書を拾い上げて鬼頭は今度こそ行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

P.361


 

 

放課後になっても僕は職員室でテストを作ることで手が一杯だった。

 

 

「あ、しまった。テキスト、車の中だ」

 

 

僕は2年生のテスト問題に使うテキストを車の中に置き忘れていたことに気づいた。

 

 

「仕方ない、取りに行くか」

 

 

 

 

職員用の駐車場に見慣れないスポーツカーが停まっていた。

 

 

日産のGT-Rだ。

 

 

う~ん。かっこいいなぁ。

 

 

あんな車が似合うような男になりたいな、なんてぼんやり考えてると、

 

 

車の向こう側に鬼頭の姿を発見した。

 

 

 

 

「だからぁ、こんなところに来られても困ります」

 

 

何やら困った顔で鬼頭が立っていた。

 

 

「そんなこと言わないでよ。優輝と付き合ってないんでしょ?それならいいじゃん」

 

 

と聞き慣れない男の喋り声が聞こえた。

 

 

ドキリ……とした。

 

 

鬼頭、誰と喋ってるんだ?

 

 

その男は誰?

 

 

 

 

僕はドアを開ける手を止めて、じっと鬼頭の方を見つめていた。

 

 

すると、ばっちり鬼頭と目が合ってしまった。

 

 

「先生……」

 

 

そのときの鬼頭の目はまるで助けを求めているように......見えた。

 

 

「鬼頭、誰と話してるんだ?」

 

 

 

僕は鬼頭の下へゆっくりと歩いていった。

 

 

 

「誰って―――彼氏」

 

 

 

 

 

 

 

P.362


 

 

 

え―――......

 

 

ズキリとした。

 

 

胸の奥に鉛玉を打ち込まれたみたいだ。

 

 

「んなわけないでしょ。梶のお兄さんだよ」

 

 

 

 

鬼頭は相変わらずのテンションでこちらをおちょくっているかのように答える。

 

 

「誰?先生?」

 

 

車の中から男が顔を出す。

 

 

なるほど、梶田のお兄さんか。どことなく顔が似てる。

 

 

 

 

 

 

僕はホッとした。

 

 

ん?待ってよ。何であからさまにホッとするんだ?

 

 

「ここは部外者意外立ち入り禁止なんです。さっさとどっか行って下さい」

 

 

鬼頭は、ぴしゃりと遮断するかのように跳ね除けた。

 

 

僕に言われた言葉じゃないけど、キツイなぁ。

 

 

でも梶田のお兄さんは全然へこたれてない様子。

 

 

「相変わらず冷たいねぇ。いいじゃん、ちょっとデートぐらい付き合ってよ」

 

 

「いやですってば……」

 

 

 

 

 

「鬼頭」

 

 

 

僕は鬼頭の言葉を遮って彼女を呼んだ。

 

 

鬼頭が顔をあげる。

 

 

 

 

 

P.363


 

 

「こっちへ来なさい」

 

 

僕は珍しく大きな声で彼女を呼んだ。

 

 

鬼頭は、少しだけ梶田のお兄さんと僕とを見比べるように視線をめぐらせると、さっと僕の元へ走ってきた。

 

 

僕の後ろに隠れるように身を隠す。

 

 

「君も、ここは学校の関係者以外立ち入り禁止だ。これ以上うちの生徒にちょっかいかけると、警察を呼ぶことになるよ」

 

 

梶田のお兄さんはさすがに教師がここまで言って、下手なことができないのかチっと小さく舌打ちしてGT-Rを発車させた。

 

 

ヴォォオと派手なエンジン音が遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

 

僕は後ろに隠れている鬼頭をちょっと伺った。鬼頭は走り去るGT-Rを眺めながらあかんべぇをしていて、何故だか笑えてきた。

 

 

まるで小さな子供が味方を得たみたいだ。

 

 

「ん。大丈夫。ありがと。しつこくって」

 

 

「いいよ。もう少し校内に居たほうがいいかもしれないね」

 

 

 

 

 

「うん。ホントにありがとう。先生、ちょっと男らしくてかっこよかったよ。あんな風に怒れるんだね」

 

 

ドキンと僕の心臓がまた派手な音を立てた。

 

 

でも、僕はこの心臓の高鳴りを無視するように早口に言った。

 

 

「早く戻りなさい」

 

 

鬼頭が行ってしまうと、僕は校舎の辺りをぐるりと見渡した。

 

 

ここは、学校内の全てが見渡せる。

 

 

 

 

 

保健室のあたりの窓から、まこが顔を覗かせていた。

 

 

校舎の3階から楠 明良もこちらの様子を伺っている。

 

 

1階廊下からは、梶田もこっちを見ていた。

 

 

 

 

三者、三様……だと思ったけど、三人とも何故か含みのある視線で、こちらを睨んでいるような気がしたのは

 

 

 

気のせいだろうか。

 

 

 

 

 

 

P.364


 

 

テストを作っていると、すっかり遅くなってしまった。

 

 

もう日が暮れてあたりは真っ暗だ。

 

 

こんな時間にどうかな?って思ったけど僕は楠 乃亜の病室を訪れた。

 

 

楠は相変わらずで病態には変わりがない。

 

 

僕は最近学校で起きたことや、自分のことを眠ったままの楠に語りかける。

 

 

もちろん返事なんてないのに。

 

 

でも不思議だな。

 

 

このまま楠が眠ったまま一生を終える気が、僕にはどうしても思えないんだ。

 

 

明日か、明後日か……一年後か十年後か。

 

 

まだまだ分からないけど、いつか元気な楠がひょっこり僕の前に顔を出すんじゃないか、そんな気がしてならない。

 

 

 

 

お見舞いを終えて、エスカレーターで1階ロビーまで行くと、ふいに嗅ぎなれた香りがして僕はぱっと顔をあげた。

 

 

この香り……

 

 

 

慌てて視線を巡らせていると、

 

 

昇りの2階エスカレーターの頂上に

 

 

 

 

 

鬼頭がいた。

 

 

 

鬼頭はこちらを見下ろして、驚いたように目を開いている。

 

 

 

 

何で?

 

 

 

何で鬼頭がこんなところにいる?

 

 

 

 

 

見間違いだろうか。

 

 

僕が目を擦って再びエスカレーターに視線を送ると、鬼頭の姿は消えていた。

 

 

 

 

見間違い……?

 

 

 

 

何でかな、このとき僕をとりまく運命が大きく変わることを予兆しているように思えたんだ。

 

 

 

夕方見たあのまこと、楠 明良と、梶田の視線を思い出す。

 

 

 

 

 

嫌な予感がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

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